うものはありがたいもんで当ったりは絶対にしない。毒のあるものでも食った時には泥を食うと毒消しになる位だ。君もなめてごらん。地味を見るにはこれが一番だぞ。ふむ(なめ試みている)
金吾 そうでやすか……(これも指をなめる)
勝介 そうさ、すこし酸性が勝ち過ぎるように思うが……灰は入れたね?
金吾 はい、ここを開く時に雑木だのボヤを二三度焼きやしたから灰は相当入ってるわけで。
勝介 うむ……でも、まあ泥はこれでもよかろう、苗を植えて見たかね?
金吾 へえ、そっちの、その囲いに一坪ばかり、寒さに強いと言うモミを――壮六が試験所でチャンと湯につけて準備して持って来てくれやしたから蒔きやした。
勝介 出たかね、芽が?
金吾 出るにゃ出やしたゾックリと、でも間もなく、みんな焼けたようにいじけちゃって、一本も育たねえんで。どうも水のタチが合わねえようで。
勝介 そうさ、水のタチと言うよりも、温度じゃないかね? 山水だからな。温度は計ったかね?
金吾 へい、水口のところ、しょっちゅう手で計っちゃいますけど、どうも、そう言えば、どんな風にしても冷っこ過ぎやして。
勝介 そりや寒暖計が一本なくちゃ駄目だ。よし、私が今度持って来てあげよう。いや今度と言うよりは、今日これから私は海の口の林さん――郵便局をやってる、カラマツの植林に熱心な、あの人んとこにチョット行くから、あすこにでも有ったら手に入れて来てあげよう。そりゃ、テッキリ水温だ。なんとか水温を上げる工夫は無いかなあ?
金吾 いろいろ私も考えやしたが――ここらでは昔っから取入れ口をこんな風にアゼを幾重にもつきやして、日光であっためる事あやっていやすけど、それ以上の工夫と言っても――
勝介 そうだ、陽のよく当る所に小さい貯水池を作ったらどうだろう?
金吾 貯水池でやすか? ふむ……
勝介 まあまあ、いろいろやって見ることだ。私も考えてみよう。なあに、一里も下にはチャンと出来ている稲作だ。なんとか作って作れない事は無い。気永がにやることだ。[#「やることだ。」は底本では「やることだ」]私はこれから海の口へ行くが、暇だったら今夜でも私んとこへやって来てごらん。もっとも、春子がああして三人も友達をつれて来ているから小屋は騒ぎだがね。まあまあ君も遊びがてらやって来るさ。
金吾 はい、ありがとうございます。
勝介 あれたちは、これから山へ登るんだと言っていたから今にここを通るだろう。じゃ私はチョット急ぐからね、ハハ、行きはよいよい帰りが怖いと言う奴でな、海の口まで行きは下り一方だからよいが、帰りはあの登りだからね、私の足だとマゴマゴしていると夜になってしまうからね。ハハ、じゃ。(歩き出す)
金吾 行ってござらして。
勝介 (遠ざかりつつ)こっちだったね?
金吾 はあい、そっちでやあす。
[#ここから3字下げ]
しばらく立って見送ってから、再び泥田をかきまわしはじめる音。山鳩の声……
そこへ林の奥から、四人の若い男女が歩きながら声を合せて歌う「札幌農大寮歌」グイグイ近づいてくる。足音、笑声、春子、敦子、敏行、香川の四人。
[#ここで字下げ終わり]
(歌) 都ぞ弥生の雲紫に
花の香漂う宴の莚
尽きせぬ奢に濃き紅や
その春 暮れては移ろう色の
[#地から1字上げ](立ちどまる)
春子 (他の三人に)ほらね、チャンとここに居たでしょ?(金吾に)金吾さん、あのね――
金吾 (水の音をさせながら、頭を下げて)今日は、いいあんべえでやす。
春子 そう、いいあんべえ、ね。(クスクス笑いながら)あのね金吾さん、あんたにチョットお願いがあるけど――その前に、この皆さん御紹介まだだったわね?
金吾 (笑いを含んで)はあ、いえ、お迎いに行ったんでやすから、皆さん存じておりやす。
春子 でもお名前なんぞ、まだでしょ? 御紹介します。これは、同じクラスで私の一番の親友の敦子様。同じクラスじゃあるけど、すべての点で私のお姉様。
敦子 あらま、大変ね。神山敦子と申します。よろしく。
金吾 へい、どうか……
春子 そいから、これは私の親戚で、大学に行って、いるような、いないような敏行君。
敏行 ひでえなあ春坊。大学と言うのは高等学校や中学とは違うんだ。単位が取れさえすりゃ通学するしないは、こっちの自由なんだ。
春子 それから、こちらは敦子さんのイトコさんの香川賢一さん。札幌の農大にいらっしゃるの。
香川 よろしく。
金吾 よろしくおたの申しやす。
香川 なんですか、これ、水田にするんですか?
敏行 おいおい、早く行こうじゃないか。
春子 そいでね金吾さん、これからみんなで八つが嶽に登りたいんだけど道がよくわからないの。それであんたに案内して行ってほしいんだけど。
金吾 八つが嶽でやすか? 今からじゃ、だけんど、皆さんの足じゃ、どうでやしょうか!
敏行 なあに、たかが一里たらずだろう、平気さあ。ああやって赤岳なんぞ鼻の先に見えてるんだもの。
金吾 いやあ、あんなふうに見えちゃいますが、登るのはグルグルと右手へ廻りこんでやして、第一、ちゃんと仕度しておいでんならねえと、あぶのうがす。
春子 敏行さんは偉らそうな事言ったって、たより無いのよ。おとついだって、この先きのちっちゃな沢を登るんだって方角がわからなくなって、しまいにベソかくんですもの。心細いったら!
敏行 バカあ、ベソかいたのは春さんじゃないか!
敦子 (金吾に)ホントに、お願いしますわ。途中まででもいいから登ってみたいの。
金吾 んでも、俺あ今日中にここを掻いとかんと困るで。
春子 だってそりゃ又明日だって出来るんじゃない金吾さん、お願い。ね!
金吾 そうでやすか。んでも、こんなナリだし……
春子 いいじゃないの。このワラジはけば、そら。さ足を洗って。(と、しゃがんで、金吾の足に手で水をかける音)
金吾 どうも。(恐縮して)いえ、いいんでやす。(しかたなくガバガバと手足を洗って上にあがる)
敦子 はい、わらじ。
金吾 へい、こりゃどうも。
敏行 (既にかなり離れた道の方から)おーい、こっちだねえ?
金吾 (わらじを穿き終りつつ、そちらへ)はーい、そっちでがあす。
春子 さ、行きましょ!
[#ここから3字下げ]
(香川、春子、敦子、金吾の順で歩き出す足音。遠くでオーイと敏行の声)
[#ここから2字下げ]
待ってよう、敏行さーん一
[#ここで字下げ終わり]
音楽 短かい(軽快な行進曲風の)
[#ここから3字下げ]
四人が歩きながら歌う「北大寮歌」
金吾は黙々として行列の先頭に立っている。――
(ここで繰返される「北大寮歌」の歌い方と歌の調子で登高の段階と四人の疲れ方や歩度や山の様子を暗示するように変化をつけること)
[#ここから2字下げ]
歌(第一歌詞)
[#ここから5字下げ]
都ぞ弥生の雲紫に
花の香漂う宴の莚
尽きせぬ奢に濃き紅や
その春暮れては移ろう色の
夢こそ一時青き繁みに
もえなんわが胸思いを乗せて
星影さやかに光れる北を
人の世の、清き国とぞあこがれぬ。
[#ここから3字下げ]
(快活で、テンポ早いが、最初の歌ほど早くはない。一同の足音)
[#ここで字下げ終わり]
春子 あらら、敦子様、こうんな綺麗な花!
敦子 ホント! はじめて見たわ、こんな可愛い花! なんと言うの、これ、金吾さん?
金吾 ああ、こいつはホントから言やあ秋口にならねえと咲かねえ花でやすがね。狂い咲きだなあ。ダズマと、この辺では言っていやす。
香川 ああ、そりゃたしか高山植物の一つだ。
敏行 (かなり離れた所から)おーい金吾君、こっちだねえ?
金吾 (それに向って)そのう、右の方でやーす!
[#ここから3字下げ]
(ザーッと谷川の水音で、すべての声が消えて)
[#ここから2字下げ]
(再び「寮歌」)
歌(第二番の歌詞)
[#ここから5字下げ]
豊かにみのれる石狩の野に
雁の音はるばる沈みて行けば
羊群声なく牧舎にかえり
手箱のいただきたそがれこめぬ
雄々しくそびゆるエルムの梢
打振る野分に破壊の葉音の
さやめく甍に久遠の光
おごそかに、北極星を仰ぐかな。
[#ここから3字下げ]
(一同かなり疲れて、ユックリした調子になっている。途中から敏行だけ歌うのをやめる)
[#ここで字下げ終わり]
敏行 わあ、くたびれたあ、まだよっぽどあるかねえ、中岳のてっぺん?
春子 ほらごらんなさい、意苦地なし!
金吾 (すこし先きに歩きながら)はは、まだてっぺん迄は半分も来ていませんよ。
春子 ちょっと休んで行かない、ここらで?
敏行 休もう、ふう!(ドシリ、ガサガサと草の中に身体を投げ出す)
敦子 私は平気よ。行きましょう、金吾さん(登って行く)
香川 (まだ寮歌をハミングで歌っていたのがフッとやめて)やせがまんはよせよ、敦ちゃん!
敦子 太古、太陽は女性であった!
敏行 ちえっ、チャチなブルー・ストッキング!
敦子 (歌)(と、ハアハア言いながら登って遠ざかる)待ってよ金吾さあん!
[#ここから3字下げ]
(先に行く金吾と敦子の二人と後に残った香川、春子、敏行の三人の二組にスッと別れる感じをハッキリ出す)
[#ここで字下げ終わり]
香川 まったく、思ったよりはあるな、ふう!
[#ここから3字下げ]
(と草の中に腰をおろす)
[#ここで字下げ終わり]
春子 急に寒くなって来たわ。もう日が暮れるのかしら? もう帰らない?
香川 春子さん、くたびれたんですか?
春子 ええ、ちょっとね。
香川 ここにハンケチ敷きましたよ、ちっと掛けたら?
春子 ありがと。
敏行 ねえ香川君、ゆんべの議論ねえ、あれはあれっきりになったが、僕あ、やっぱりなんだな、札幌あたりの大学の空気の中に何かしらん良く言えば詩的、ハッキリ言うと感傷的な気分があると思う。つまりトルストイとフエビアン主義を突きまぜたと言うかなあ、日本で言うと内村鑑三と安部磯雄を合せた式のさ。それが気に入らないんだ僕なぞは。社会主義なら社会主義で、もっと実際的な、たとえば片山潜や堺利彦なんかの行き方なら賛成するしないは別として、とにかく僕あわかるんだ。どんな綺麗なものでも夢のような感傷論じゃ問題にならないと思う。
香川 いやあ僕あ、そんな事言ってるんじゃないんだ。それに、札幌のうちの大学が全体として僕と同じような気分の学校と思われちゃ、大学が迷惑するよ。ただ僕は今の時代を見渡して見て、こんなように貧富の差が甚だしくなって、一部の特権者と富豪がぜいたくしている一方、そのギセイになって貧乏な階級が、あまりに多く、そしてあまりに苦しみ過ぎている。その現象を無視していてよいかと思うんだ。ただそう思うだけで、僕あ何も社会主義者じゃ無い。
敏行 社会主義者なら、まだいいと、だから僕あ言ってるんだ。感傷主義からは、なんにも生れてきやしない。なるほど、僕は法科で君は農政方面をやってるんだから、そう言う立場の違いもあると思うけどね、僕あ、やっぱり現代は力の時代だと思う。権力と金を握ったものが支配するんだし、していいと思うね。社会主義にしたってマルクスなんぞの理論など、やっぱし土台はそこに置いてあるから現実性があるんだ。
香川 それはそうかもしれない。しかしそれにしても人道主義が存在の価値を失ってはいないと思う。又永久に失う筈はない。僕が言うのは、本来平等に生みつけられた人間がだな、つまり、一例をあげると、君や僕はたまたま金持の家に生れたからこうして大学なんかに行っておれる。だのに多くの貧乏な家の子弟はだ――そう、たとえば、今の金吾君でもいい、あれで僕等と同じ年頃の青年だよ、それがただ貧しく生れついたと言うだけの理由でああして泥んこになって働らくだけで本一冊読めはしない。これは君、いかになんでもあんまり不公平すぎることを僕あ――
敏行 そんな事言ってたら、僕らは一足も歩けないし、一口も食えなくなるよ。愚だと思うな。僕はそんな事平然として、こうして二度と味わえない青春時代を楽しむね。それよりも、君が特にこんな所に来てまでだな
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