り附けて甘たれはじめたでしょ? 見てて私、いっぺんに涙ぐましくなっちゃった。お母様! お母様! あたしのお母様はどうして、お亡くなりになっちゃったの? と、そう思ってね、ホントに泣いたかもしれませんの。それを見てて、その金吾と言う人、貰い泣きしたんだとおっしゃるの、お父様は、そんな事ってあるかしら、あんな、まるで銅像みたいな田舎の人が?
敦子 そうねえ。……ああ! もしかすると、その人にも、もしかするとお母さんが無くて――小さい時にお母さん亡くしてて、やっぱし春子さんと同じように、その仔馬と親馬見てて、それを思い出したのかもしれないじゃありませんの? そうだわ、きっと!
春子 そうかしら? だって、それにしても、そんなことツンともカンとも感じたりするような人じゃないのよ。まるで銅像みたいな、熊みたいな、そうだわ、マダム・フーリエに言わせると、ソヴァージュってやつのお手本みたいな[#「みたいな」は底本では「みたいう」]人よ!
敦子 そりゃ、しかし、そんなような人が、かえって心の中はやさしいかも知れなくってよ、案外。
春子 そうかしら。でもそりゃ敦子さんが、その人をごらんにならないからだわ。ま、一度ごらんになってよ、とてもそんな――
敦子 だって信州の山の中の人を私が見れる道理がないわ。
春子 じゃ来年の夏、ごいっしょに行きましょうよ。その人の世話でね、お父様、山を少しお買いになったの。来年の春迄にはそこに小さな別荘建てるんですって。向うの県庁の人に頼んでチャンともう大工さんやなんかもきまっててもう今頃は、その金吾と言う人やなんかで山を開いたりしているかもしれない。ね、御一緒に行って夏一杯みんなで暮さない? 長与の敏行さんも行きたいとおっしゃるから、お宅のお兄様もいかが、きっと面白いわ。
敦子 そうね、おともしたいわ。だけど、私は来年あたり、とてもそんな遊んでなんかおれなくなるかもしれないのよ。父が横浜で生糸の貿易などに手を出したでしょ、そっちの方の手伝いに行かされるかもわからないの。商人なんかほんとにいやだわ。春子さまはいいな、こうしてお父様とばあやさんの四人きりで、やりたい事はなんでもやれるんですもの。
春子 でも近頃では父も大学と農林省だけじゃなくて、叔父さんの会社に引っぱり出されたりして、めったに内にいないの。今日なんかも、前から博覧会には一緒に連れて行ってやると約束していながら、急に群馬県の方へ出張しちゃって、上野へは敏行さんに連れて行ってもらう事になっちゃったり。
敦子 そう言えば長与様は、だいぶおそいようね。もうそろそろ半よ、十二時。
春子 あの大学生は、おしゃれだから。それに今日は敦子様と言う美人が一緒だって敏行さん御存知だから、念入りにお仕度中でしょ。
敦子 まあ、おぼえていらっしゃいまし!
[#ここから3字下げ]
ドアにちょっとノックの音がして。
[#ここで字下げ終わり]
鶴 (ばあやと言ってもまだ中年の女)ごめん下さいまし。
春子 ああ、鶴や、どうして? 敏行さん、まだ見えないの?
鶴 はあ。ただ今お見えになりまして……
敏行 (足音をさせて廊下口から入って来て)やあ、お待たせしました。(敦子と春子に)今日は。
敦子 今日は。(辞儀)
春子 敏行さん、御苦労様。でも随分待ったわ、ねえ敦子様?
敦子 ホホ……(静かに笑っている)
敏行 じゃ直ぐ出かけますか?
鶴 でも長与のお坊ちゃまに、お紅茶でも差し上げましてから――
敏行 いや、いらない。どうせ春さんたちのお伴だ。それに今日は上野へ行く前に銀座を案内しろと言う御註文だもの。どうせ千疋屋ぐらいはおごらされるのは覚悟しているんだから、そっちで、おっそろしく高いチョコレートかなんか飲みます。
春子 まあ、にくらしい! あんなことおっしゃるから、いいわ鶴!
敦子 ホホ……
敏行 はははは!
鶴 さよでございますか。それでは。(その前を三人が笑いさざめきながら室を出て行く)
音楽 (オルゴールの曲。今度は三十分おきの簡単な曲)
音楽 やんでチョット静かになってから、寂しい、はるかな山鳩の声が、ポッポー、ポッポーとひびく。
金吾 うっ!(と言って木の根元を切る。その音がガッ! と鳴って森にこだまする。つづけて二打ち三打ち)
壮六 (笑いを含んだ声で)なあおい金吾よ!
金吾 おいよ!
壮六 この夏、黒田さまを案内して来た馬車の中でよ、なんでお前、あんな出しぬけに泣き出しただ? うん?
金吾 ……(返事をせず木を切る)
壮六 どうしてだ? ありゃ仔馬あ見てる時だったが、この辺で仔馬見るたんびに泣いてたら、それこそ、眼なんぞつぶれるべし。……なんちつたつけ、春子さまか、あのお嬢さんが涙あ出したから、お前も泣いたのけ? うん? 何とか返答しろ!
金吾 ……(木を切る。その音)
壮六 そう言えば、あの前からおのしは、あのお嬢さんのツラばっかし見ていたなあ。
金吾 ……(木を切る)
壮六 おかしな野郎だ、おのしと言う男も。
金吾 壮六、お前もう帰れよ試験場へ。仕事の邪魔だ、そこでいつまでもゴヂャゴヂャしゃべくってると。
壮六 わっはは! 帰るともよ、はは。誰がこんな寒い所にいつまでも居るもんだ。小諸の大工が、もうへえ材木はすっかりきざみおえたから、こっちがよければ直ぐに運送に頼んで四五日中にでもここの建て前にやって来るつうから、県庁の斉藤さんに頼まれて様子見かたがた、やっち来ただけだ、俺あ。こいだけ地形が出来てれば、オーライだらず。
(枯小枝をポキポキ言わせて歩き出している)戻ったら、斉藤さんにやそう言っとくからな。
金吾 そうか、御苦労だ。あずかってある銭あ、まだ足りてるからな、そう言っといてくれ。黒田様の方に俺も手紙出すにゃ出すが。
壮六 (歩いて、ゆっくり立去って行きながら)年内にゃ、するつうと、ここに別荘が建っちまうだなあ。そいで、来春になると皆さんでおいでる。あのお嬢様も御一緒だらず、お前はここの世話やき頼まれてっからな、まあま、金吾、あの人見ちゃ泣き出して、よ、眼え泣きはらさねえ用心するだなあ!
金吾 野郎! なによぬかすっ!(大なたを、振りかぶる)
壮六 (小走りに逃げる真似をしながら)はははは! じゃ、あばよ!(遠ざかりながら)馬流のお祭りにゃ、ごっつおして待ってるから、きっと来うよう!
金吾 おう! フフ!(見送りつつ軽く笑う)
壮六 はは!(と森の奥に笑声をひびかして歩きながら、盆踊りの歌)
[#ここから3字下げ]
盆が来たのに、踊らぬ人は、木ぶつ、金ぶつ、石ぼとけ……
(そのひなびた明るい歌声が森のかなたに)
[#ここで字下げ終わり]
金吾 さあて!(と低く言って、再びナタを振りあげてガッと木を切る。その音)
音楽
[#3字下げ]第3回[#「第3回」は中見出し]
[#ここから4字下げ]
壮六
金吾
勝介
敏行
春子
敦子
香川
[#ここで字下げ終わり]
壮六 (語り) その次ぎの年の春に別荘はきれいに出来あがって、その夏から黒田様御一家がズーッと毎年おいでるようになりやした。そうでやす、あれは明治の四十一年ごろですからねえ、今でこそああして、いくらか開けやしたが、その当時は野辺山かいわいには狐や狸はもちろん、八つが岳から鹿だとか、時によるとアナグマなどまで出て来たりした時分で、そういうへんぴな山の中に、いくらカラマツの植林の研究のためとは言いながら別荘を立てたりした黒田先生という方もあれで変りもんだったんでしょうな。なあに、見たとこは極く温厚な学者でしたよ。とにかく、よっぽどあの辺がお気に入ったらしい。もっとも、なんでも、その春子様というお嬢様を生んだお母さん、つまり先生の奥さんが急病で亡くなられた北海道の山の中があの野辺山の景色にソックリと言ってよいほど似ているそうで、そんなことから先生もあの土地が好きになられたとかで春子様も別荘を建てるならあの辺にしろとねだられた様子でした。……そいで最初からの引っかかりで、柳沢の金吾が別荘を建てる世話を全部やきましたが、それ以来ズーッと黒田様の山と別荘の管理をすっかり委されることになったのです。金吾は私とは同じ村の幼な友達ですが、もともと身寄の少い男で、親父というのが若い時分から山気の多い男だったそうで。金鉱探しに夢中になって家を留守にしちゃあちこちの山を飛び歩いていて、しまいには東北の山ん中で死ぬ。残された母親が金吾とその姉の二人姉弟を育てて来たんですが、苦労つづきで亡くなってしまった後は、金吾は姉の片づいた先の百姓家に引きとられて大きくなったような身分で。まあ、一日も早く一人立ちしなくちゃならんと言うんで十八九の時分から、あちこち雇われたり日よう取り稼いで金をためては、そいつでもって、どうせ高い土地は買えはしないつうので、まだ誰もつけない落窪のはずれの山を一段二段と買い込んでは開いていたのです。ちょうどその時までに五六段は自分の土地として、ボツボツとソバなんぞ蒔いていたんでやして、そこへ黒田さんの別荘が近くに建ってその世話をまかされる、同時に、黒田先生がだんだん金吾の人がらに打ち込んで来なすって、そんなわけなら小さいながら自分の家を建てたらどうだと言うので、別荘を建てた大工をまわしてやったり――いえ、金を出してもらったりはしなかったようです。金吾という男は、おとなしい人間じゃありますが、そういう、人がよくしてくれるのに甘えてわけの無い世話を受けたりすることはしない男でしてな、材木から何から、かかり一切は自分の力でやって、はじめは掘立小屋みたいな家をたてて、そこでとかく一戸をかまえた百姓で暮すようになったのです。……毎年夏になると別荘には黒田さん一家が来られます。金吾は口に出してはなんにも言いませんけれど、もう春ごろから、それを待っている様子でした。いよいよ夏が近づいて、これこれの日にそちらに行くと言うハガキが黒田さんから着きますと、金吾は馬車を仕立てて、駅の方へ迎へにくだるのです。黒田様のお嬢さんの春子様が最初お目にかかった時に、私の名前――川合壮六と言うのを可愛そうと言う名だと聞いちゃって大笑いした時から私のこともおぼえていられましてね、それを金吾も知っているもんで、そんな時はいつも私の方にも金吾は知らせてくれるんで。もっとも私は農事試験所の方が忙しいもんで、めったに野辺山までは行けませんでしたが。そうやって黒田様一家が一月二月と別荘で暮す間、金吾は自分の百姓仕事に忙しいのですが、何やかやと別荘の人たちのために引っぱり出されることも多いようでした……
[#ここから3字下げ]
高原の林に遠く近く鳴きかわす山鳩の声。
ヂャブ、ヂャブ、ドブリと泥田をかきまわす音。
[#ここで字下げ終わり]
勝介 (岩の多い小道を靴音とステッキの音をさせて近づいて来ながら)やあ、金吾君、精が出るねえ!
金吾 (泥田の中で水音をさせながら)これは、黒田先生いいあんべえでやす。
勝介 (立ちどまって見まわして)えらい所に水を引いたが何が出来るんかね?
金吾 へい。なんとかして水田にしたいと思いやして、去年からこうして――
勝介 ふむ、ここを水田にねえ? そりゃ、しかし、無理じゃないかな。
金吾 へえ、みんなそう言いやして、壮六などもしょせんそれは出来ねえ相談だからよせと言いやすけんど、とにかくやってみねえじゃわからねえと思いやして、まあ格好だけはつけてみやして。
勝介 でもここらは大体が赤土だろう?
金吾 はい、そんで、そいつを先ず何とかしようと、草をうんと踏んごみやして、壮六は三尺位は床土を仕込まねえじゃと言いますからわしは四尺仕込む気で、そいでまあ、色だけは大体こういうタンボべとみてえになりましたがさて、どんなもんでやすか。
勝介 (次第に釣込まれて熱心に)そうかね、そりゃ大変だ、どれどれ(と指に泥を附けてなめる)
金吾 (あわてて)そんな、この泥をなめたりなすっては、きたのうがす。
勝介 なあに、コヤシが入っとるかね?
金吾 コヤシは入れませんが、とんかく、当りでもしやすと。
勝介 なに、土とい
前へ
次へ
全31ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング