烽、ずっと来ねえが、おとついだか、敏ちゃんがやって来て、お母さんが一郎をおぶったまま行方《ゆきがた》が知れなくなったので、こちらへ来たんじゃねえかと思ってやって来た。そう言って、いや、来ねえと言うと、すぐまたその足で横浜の方へ行くと言って立去った。そう言ったそうで、仕方がないので金吾もそこそこにそこを立去って、保土ヶ谷の、その敦子さんの方へ行ってみたそうだ。したら、そこにも春子さんは姿を見せてねえ。横浜の空襲の時に、敦子さんの家が爆弾をうけて、そのとき、敦子さんは足を怪我をなすったそうでね、まだ寝てたそうな、その枕元で敏子さまは看病をしながらオロオロしていやしたそうな。仕方ねえので、こっちから運んで行った米だとか麦だとかを、そっくり置いて、その次の日にそこを飛び出した。金吾はどうしても春子さんを探し出す気でいただ。で金太郎と二人で東京へ引返してな、なんでも一度新宿へ出て、やっとのことで汽車の切符を一枚買って金太郎だけを信州に先に返した。東京で一緒にそうやって連れて歩いていて若い子にもしものことがあっちゃあならんと思ったらしい。どうも様子が、金吾はその時、どうで春子さんは空襲にやられて死んだらしい、そんならば俺も東京で死んでもいいと思ったらしいんですねえ。……それからますますひどくなってくる空襲のさ中[#「さ中」に傍点]をまた市川へ行ってみたり、銀座の店に戻ってやしないかと思って、そちらへも行ってみたり、それから以前の黒田家の家に、春子さん立廻ってはしないかと思って、麻布のその石川の家に寄ってみたり、そうしといては、また保土ヶ谷へ引返しては、また東京へ出るというようなことで、二日も三日もあちこちと駈けまわったらしい。その時のことは、後になって金吾にきいても詳しいことは話さなかった。話そうにも、そこら前後のことは金吾自身もはっきりとは覚えていねえような様子でしたよ。とにかく三日過ぎたか、夜も行きあたりばったりの軒下や防空壕などでちょっと眠るという有様、もうグタグタにくたびれ果てて探しまわったが、どうしても春子さんは見つからねえ。もう諦める他に仕方がねえという気になったが、そいでもまだ一日、二日ウロウロしたそうだがね。もう、どうしてもこれ以上しょうがねえつうんで、そん時に金吾が辿り着いていたのが上野駅だそうでやしてね、待っていれば、どうやら切符が手に入るらしいので、とにかく一度信州に戻ってから出直そうという気になってね、ガックリして、駅の行列の尻についてタタキの上に坐っていたそうだ。もう夜になっていたそうでね……
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空襲によくあっていた頃の、上野駅の夜の構内。人の歩く気配や、離れたところの雑音などがしているが、すべてのものが疲れはて、沈黙しがちで、遠くでアウンスされる声も沈んで明瞭さを欠く。「ガアガアガア……次の信越線列車は九時三十分に発車の予定でございますが、乗車券をお持ちの方は改札口左手の方に行列……(不明瞭)……乗車券をお買求めの方は切符売場に並んで下さあい……
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少年 (といっても浮浪児らしく、ザラザラした太い声で)おい、おじさん、なんか食物があったらくんなよ、何でもいいからよ、豆でも何でもいいからよ、少しくんなよ、ねおじさん。
金吾 (疲れはてている)でも俺も、ねえから……
少年 そんなこと言わねえで、なんでもいいからよ、ちょっぴりでいいからよ。
金吾 (ポケットから音をさせて、少し豆を出して渡す)大豆の炒ったのが、ホンの少しきやねえ。
少年 ありがとう、おじさん、ありがとう、なむあみだぶつ。(真剣にそう言ってお辞儀をしながら、すでに炒豆を口の中に放りこんでバリバリと噛んでいる)
金吾 ふふふ……(相手がなむあみだぶつと言ったのでおかしくなってちょっと笑いながら)君はなにかい、いつもここらに居るのかい?
少年 そうだよ、家は焼けちゃったし、しょうがねえもん。
金吾 そうかよ――君はこの辺で、そうさなあ、もういい年のおばさんで、ちっちゃな赤ン坊をおぶった、そうだ、少し頭が馬鹿になってるような人だがな、そういう人を見かけなかったかね?
少年 そんな人なら一ぺえ居るぜ。
金吾 え?(ちょっとギョッとするが、すぐにガッカリして)……いや、わしの探しているのは春――春さんと言うて、春子と言うおばさんがな、おぶっている赤ン坊は、一郎と言って――
少年 おじさんのおかみさんかい?
金吾 いや、そうでねえが、ちょっと親戚でな。
少年 わからねえなあ……おじさん切符はあるのか? なけりゃ俺《おい》らが手に入れてやろうか、代を二倍ばっか出してくれると手に入れてきてやるよ。
金吾 そうかよ、実はまだ買ってねえんだ。ええ、小諸から小海線で野辺山という所まで行きたいんだがな、じゃひとつ頼むから、金を――
少年 いや、おじさんから豆を貰ったんだからお礼の代りに、金は切符をもってきってやってからもらやいいよ。そいじゃ待ってな、ここ動いちゃ駄目だぜ。動くともう見つからなくなるからな。
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(言うなり、トットットットと駈け出して去る)
この時、同じ構内の別の行列のへんで、五六人の男女が口々に騒ぐ声。
かなり離れているので、はっきりとはしないが、「どうしたんだよ?」「こんな所でそんなことを言ってもしょうがねえじゃねえか!」「気が変になったんだい!」「怪我したな!」等々がやっと聞える。それらの声の中で、女の声が何か叫んでいるが、「お願いです、私は……」だけで、あとは言葉がはっきりしない。
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中年の男 (金吾の後に坐っていた)なんだ? どうしたんだい?(向うから歩いてきた人に問いかける)なんですかね、え?
若い男 (向うから歩いて来ながら)なあに、気の変になった女だ。
中年の男 まったく、こんなに家が焼けたり、人死が多いと、頭も変になるなあ。僕なんかもうどうにかなっちまいそうだ。ねえあんた。
金吾 そうでやすねえ。
若い男 なんでも、どっかで頭を打たれたか、胸の辺を怪我でもしたらしいや。
中年の男 ああ、いやだいやだ。
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その間に、少し静かになっていた向うの人立ちの間から、女の叫び声で、「私は野辺山へ行くんです! 切符を一枚下さい! 野辺山へ行くんですから、私に野辺山までの切符を一枚、お願いですから!」と言う声がきこえる。
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金吾 おっ!(叫んで、とび上り、そちらへ向って駈け出す。そのトットットットという靴音)あの――ちょっとごめんなして、ちょっと!
青年 (金吾から突きとばされて)何をしやがるんだ!
金吾 ちょっくらごめんなして!(人々をかきわけて、前へ進む)
春子 野辺山へ行くんです! お願いですから!(声もかれ、疲れはてて、喘ぎながら叫ぶ)
金吾 あ! は、は、春さん! 春さんだあねえか!
春子 え? どなた? ああ、き、き、金吾さん? あなた。金吾さん! ああ……(唸って、ガッカリして前のめりに倒れかかる)
金吾 春さん、しっかりして。俺だ、金吾でやす。しっかりして!(金吾の腕の中で気を失う春子。その背中にくくりつけられた赤ン坊の一郎が、眼を覚して、ウ、ウーン、ウ、ウーンとぐずる)
中年の女 (わきに居たのが)やれやれ、よかった! あんた、家の人ですかね? なんか、この人は胸を打ったかなんかで、ひどく弱っていますよ。あんた、しっかりしなさいよ、家の人が来てくれましたよ!
金吾 どうもありがとうございました。春さん、金吾だ、しっかりするんだ。
中年の女 この水を飲ましてあげなさいよ。
若い女 (わきに居たのが)赤ちゃんをほどいてやらないと無理だわ、どれどれ。(紐をほどいて、一郎を抱きとってやる。その一郎が「ウーム、ウーム」という声)
金吾 どうもありがとうございやす、どうも――(中年の女が渡してくれた水筒から、春子に水を飲ませながら)春さん、しっかりするんだ、金吾でやすよ。
春子 うーむ、うーむ!(唸る)
駅のアナウンス みなさん、高崎行の列車が間もなく出ますから、切符をお持ちの方は改札口に並んでくださーい、高崎行の列車が出ますから――
中年の女 あれっ、高崎行が出る。そいじゃあんたがた、大事にしてな。
金吾 (水筒を返しながら)へえ、どうもありがとうございやした、助かりやした。(その水筒を受けとって、中年の女はコトコトコトと走って去る)
金吾 (若い女に)どうもすまねえ、そいじゃその児を、おらが――
若い女 そうですか、どうか、あの、大事にね。(一郎を渡す)
金吾 どうもありがとうさん。(若い女が、これも小走りに去る。そこらの人々の騒ぎ、騒ぎの中に金吾が、春子を寝せたタタキのわきのリュックの上に一郎をそっと寝せてから)春さん! 春さん! わかりやすか? 俺だ、金吾だ。
春子 (やっと気がついて、弱い声で)ああ、金吾さん、どうしたの、ここ何処?
金吾 ここは上野の駅だ。
春子 あの、それで一郎は? 一郎はどうしたの?
金吾 坊やはちゃんとここで無事で寝てるだから心配しねえで。どうして春さん、こんな所にいやした? いや俺やな、あんた方を探しに、四、五日前に信州から出て来て、銀座へ行ったが誰もいねえし、そいから市川へ行ったり、保土ヶ谷へ行ったりしても、あんた居ねえしな、いくら探しても見つからねえもんで、とうどう、とにかく一度、信州に帰るべえと思ってね、そいでここに来て並んでたとこだ。
春子 そうお、どうもありがとう金吾さん。私はね、なんですか、さっぱりわからないけど、空襲が恐くって、そいで一郎に怪我をさしてはいけないと思ってね、そいで市川の方へ行こうと思ったけど、その途中でまた空襲があるし、道がわからなくなってしまって、そいでね、そいでね、仕方がないから野辺山の[#「野辺山の」は底本では「野返山の」]あなたの所へ逃げようと思って、ここで、もうおとついか昨日からさんざんナニしてるんだけど――(メソメソ泣きはじめる)
金吾 泣かねえでもいい、春さん、泣かねいでも、もう俺がちゃんとこうしているのだから、大丈夫だ。春さん、どこも何ともねえだね? 怪我はしてねえな?
春子 ううん、でも胸のここんとこが痛い、この間の空襲の時に、なんか落ちてきて、ここへあたったの。
金吾 え? ええと――(着物をはだけて見て)おおこいつは、もしかすると骨が――ここが痛いかね?
春子 うん、少し痛い、でも大したことはないの。一郎は元気?
金吾 元気だ、ほら。
春子 おお、よかった! 私はどうでもいいけど、この子に怪我をさせたら、敏子や、それよりも杉夫さんに対して申訳ないと思ってね――食べるものだって、この子にはずうっと牛乳を買ってやったりなんかして――よかった!
金吾 そうでやすか。そうだ、春さんおなかがすいてべえ、ええと……(リュックの紐をといて、その底から紙包みをとり出して、竹の皮を開ける)握り飯が二つ三つある。これを食べなんし。
春子 ううん、私はちっとも食べたくない。金吾さん、食べなさい。
金吾 だって、ズーッと、春さん、何にも食べていねえんでがしょう。今の内にちょっと食べておかねえと――
春子 そうお、そいじゃ……敏子や敦さん、変りないかしら?
金吾 無事でがす、敦子さまは横浜の空襲で足をちょっと怪我しなすったが、大したことはねえ。敏子さまはそれの看病やなんかで保土ヶ谷にござらしてね。
春子 そう、やれやれよかった。でも金吾さん、私たちこれからどうしたらいいの?
金吾 そうでやす……ええ、この坊やのことがあるから一度保土ヶ谷へ行かざあなるめいが――
春子 でも、このまま野辺山へ[#「野辺山へ」は底本では「野辺力へ」]汽車で行っちまえないかしら。私もう恐いの。どうせ敏子も敦さんも、後から野辺山へ来ればいい。
金吾 だけんど、とにかく保土ヶ谷じゃ、みんなで心配なすっていやすから、こうやって、あんたや坊やが助かったことだけは知らせねえと――
春子 でも、それはすぐ葉書か電報でも出して知らせりゃいいんじゃない?
金吾 そうだな
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