ヌうしてそれが、不幸に落ちることになるの、敦さん? お願いだから、私の言うとおりにして頂戴。だって私なんぞ、ホントはこの金吾さんと一緒になればよかったのよ。それを、つまらない、余計なことばっかり考えたり迷ったりして、そうしなかった。そいで、私は幸福になったの? 敦さん、私は私と同じようなことを、この敏子に繰り返させたくはないの。人間だから、誰にしたって明日が日にでも死ぬかもわからない。杉夫さんが出征して、一ときしたら死ぬとしても、それはその時のことで、私知らない。敏子は杉夫さんと結婚しなくちゃいけません。そいで五日でも六日でも、その広島の方について行って、ご一緒に暮すの。それが一番よ、敏子、それが女の道よ。いえ、女にはそうしかできないのよ、ホントは。そうしかしてはいけないのよ、わかってね。木戸さんも、みなさんも私の言うことわかってね、お願いですから。私と同じようなあやまちを、敏子にさせてはいけないのよ、お願いしますからね!

[#ここから3字下げ]
(一座がシーンとしてしまう)
[#ここで字下げ終わり]

杉夫 (激した心を抑えて)ありがとう、お母さん! ……僕は敏ちゃんと結婚します!(ビシリと言う。あたりはシーンと[#「シーンと」は底本では「シーと」]する)

[#ここから3字下げ]
表の通りで、メガホンから「訓練警戒警報発令! 訓練警戒警報発令!」と叫ぶ男の声がひびいて、やがて遠くから警戒警報のサイレンの音が不気味にひびきわたる……シーンとした間。
[#ここで字下げ終わり]

敏子 ……お母さん、ありがとう!(泣き出す)お母さんありがとう。

[#ここから3字下げ]
敦子も泣きだしている、二人の女の泣声にまじって、木戸と金吾と杉夫も泣いてるようで洟をすすりあげる音。春子だけがキチンと坐って、サイレンの音を聞いているようだ……
[#ここで字下げ終わり]

敦子 (語り)ホントに不思議なような気がいたします。そうやって、子供のようになってしまった春さんの言うことに誰も抗弁することができなかったのです。それはもう理屈やなんかではありませんでした。もう誰が何といってもテコでも動かないような、何かしら厳かなような態度だったんですの……それで万事が決って、その晩身内の者だけが集まって、氷川様でかたちばかりの結婚式を挙げ、してその翌朝[#「翌朝」は底本では「習朝」]、杉夫と敏ちゃんは入営見送りを兼ねて、二人で広島の方へたって行ったのです。その後、春さんは私のところに引とり、金吾さんは家のことがあるので、いつまでも東京に居るわけにはいかないので、信州へ戻って行きましたけど、妙でございますねえ、その晩の結婚式の間も、それから家へ戻ってささやかな披露の酒もりをしている間も、春さんは殆ど一言も口をきかないで、ただ嬉しそうにニコニコしていましたが、その眼がしょっちゅう金吾さんの方を見ているのです。そして、なにか夢を見るような、ボウーッと上気したような薄あかい顔をして、それはそれは美しい眼をして金吾さんの顔ばかり見ているんですの。春さんとは私長いつきあいでしたけど、あんなに綺麗なあの人の顔を、それまで見たことがありません。その様子が、なんですか、今結婚式を挙げているのが自分の娘の敏子と杉夫じゃなくて、ご自分と金吾さんだと思っているんじゃないかという気がしたんですの。ずうっと後になって春さんからききましたら、やっぱり私の思ったとおりで、あの時結婚式を挙げてるのは自分と金吾さんで、そして翌る朝、杉夫と敏ちゃんを見送りに行きながらも、新婚旅行に出掛けるのが、ご自分と金吾さんのような気でいたんだと言います。なんだか、おかしいような話ですけど、私はそれを聞いても笑う気にはなりませんでしたの。


[#3字下げ]第17[#「17」は縦中横]回[#「第17回」は中見出し]

[#ここから3字下げ]
[#ここから2段組み]
 金吾
 金太
 敏行
 警備員一
    二
 男一
  二
  三
 女一
  二
 警官
 老爺
 老婆
 中年男
 中年女
 通行人
 三十男
 別の男
 男
 警防団員一
     二
     三
[#ここで2段組み終わり]

いきなり空の一角にブーンと遠い爆音があって、それに向って近くまた遠く打ちあげる高射砲の猛烈な爆音。それが暫く続いて、やがて間遠になる。大きな駅の、すぐ外にある地下道の入り口近く、そこを防空壕がわりに、声をひそめてうつ伏せていた、二十人ばかりの乗客達が、それまでシーンと息を殺していたのが、やっとモゾモゾと動き始めた気配。咳をする声など。
[#ここで字下げ終わり]

男一 やれやれ、もう敵機は退散したんですかね?
警備員 もうちょっと待っていて下さい、はっきりしないから。

[#ここから3字下げ]
(遠くで空襲の状態をアナウンスしているラジオの声。言葉は明瞭ならず)
[#ここで字下げ終わり]

男二 え? 南方洋上に空母二――か・[#「・」はママ]
男三 航空母艦が来てるのかね?
男二 どうもはっきりしねえなあ。
警備員 駅の舎屋のてっぺんの拡声機が、この間の空襲でやられちゃったもんですからね。
男一 もう戦は負けてるんだからよ、いい加減に、手を挙げたらいいんだよ、まったく。
女一 (中年すぎのしっかり者)何をおっしゃるんです! 今頃そんなことを言う人は国賊です。いえ、スパイだわ!
警備員二(靴音をさせて近づいて来ながら)山下君ご苦労。今のは偵察機だったらしいや。
男二 そいじゃ、もう、出て行っていいんですね?
警備員二 そうだなあ――航空母艦が来ているようだから、下手をすると小型機がつっこんでくる恐れがあるんじゃないかなあ。とにかく、まだ、警報解除にはならないんですからね。
警備員一 俺あ、ちょっと水飲んでくるからね。
男二 しかしどっちせ、こんな所に居たって、いよいよおっことされるとなりあ、おんなじようなことなんでしょう。
女二 でもまあ、あなた、解除になるまでここに居た方が安心ですよ。

[#ここから3字下げ]
(黙ってコンクリートの上を歩き出している足音一つ)
[#ここで字下げ終わり]

金吾 さあ金太、
金太 うん。(二つの靴音が表へ向って)
警備員二 おい君君、もう一ときここに居た方がいいよ。
金吾 へえ、いいえ――
警備員二 第一、省線も停まっちゃったし、都電もまだ動いちゃいないよ。
金吾 いえ、わしあ、すぐそこだから。金太、早う来う。
金太 あい。(急いで立去って行く二人の靴音)

[#ここから3字下げ]
(……シーンとした大通りを、二人が急ぎ足に歩いて行く)
[#ここで字下げ終わり]
金太(あたりのあまりの静けさに、少し声をひそめるようにして)お父ちゃん。
金吾 おい。
金太 じょうぶ、静かだなあ。誰も通らねえし……いつもこうかや、東京は?
金吾 そんなこたあねえ、ふだんはここらは大勢の人が通ってるしな、電車だとか自動車がワンワン通ってるだ。空襲だから、こうだべ。
金太 春子おばさんの居る所はなんつうとこだい?
金吾 銀座つうところの裏だがな、そこに敏子さまが留守番をしている店があってな、そら、敦子おばさんの内の支店だ。
金太 だけど春子おばさん、どうして野辺山の方へ来て暮さねえかな。したら空襲なんず、ねえのに。
金吾 うむ、俺もこの前にこちらへやって来た時に、そう言ってすすめたし、敏子さまもそうしてくれちって、じょうぶ言ったがな、どうしても銀座のその店に居るつうだ。なんでも敏子さまのご亭主の杉夫さんつうのがな、出征しちゃった後、去年敏子さまに赤ン坊が生れてな、そいで、その赤ン坊と敏子さまを守ってやるのは、出征してる杉夫つう人に対する自分の義務だと、そう言ってな。
金太 ……あ、えらあ火事があったな? こっちの左の方だよ。
金吾 うーむ。こらあ空襲でやられたんじゃねえかな。
警防団員(そこに立っていたのが、カギ棒をガツンと石の上について)おいおい君たち、何処へ行くんだ?
金吾 あのう……銀座の方まで行きやす。
警防団員 けど、まだ警報は解除になっていないんだから危いぜ。
金吾 へえ、どうも……(歩き出す。焼跡の木や煉瓦ガツン、ガツンと叩いている音が近づく。それに警防団員が歩みよって)
警防団員 おいおい爺さん、もういい加減にして諦めたらどうかね、え? こうやって鉄棒だって溶ける位な熱で、ここいら一帯焼えたんだ[#「燃えたんだ」はママ]。いくら金庫に入れといたからちって、物が紙幣だろうが。灰になっているにきまっているよ。
老爺(かみつくように)中のものは紙であろうと何であろうと焼けねえという保証つきの金庫だぜ、クソッ!
警防団員 そりゃお爺さん、ここらが焼けている最中の熱度、おめえさん知らねえからだよ。
老爺 へん、人のことだと思って、君はお安く言うがね、わしあこれでも息子を二人、南方に出征させているんだぜ。君みたいな、ここいらでマゴマゴしている人間はそれでもよかろうが、息子を二人兵隊にとられてる人間だ俺あ。それが財産のありったけを入れてある金庫位、助けてもらうのは当然じゃないか、何を言ってやがるんだい!(ガンガンと焼け材木を叩く)
警防団員 息子が二人出征したからって、何もいばるねえ。今となっちゃ、戦線だろうと、ここだろうと同じこった。南方あたりじゃ戦争なんかしねえで、芋を掘って昼寝してるそうだぜ。
老爺 へへへ、何を言ってやがる。この腰抜けめ!
警防団員 何を、気ちがい爺いめ!(口先だけは、今にも叩き合いの喧嘩にでもなりそうな調子だが、それほどの元気もない。それを聞きすてて、金吾と金太郎は歩く)
金太 ……いやだなあ、お父ちゃん。田舎の方がいいなあ。
金吾 うむ……
老婆(衰えたシャガレタ声で)あのねえあんた方、これを買ってくれませんかねえ、これはあのこわたり[#「こわたり」に傍点]の珊瑚珠ですけどね。
金吾(びっくりして)何でやす?
老婆 こわたりの珊瑚珠ですけどね、買って下さいよ。金はいりません。なにか食べるものを持っていらっしゃったら、なんでもいいから、少しでいいからそれを下さいな。いえ、小さい孫が病気でしてね、何とかして牛乳を手に入れようと、いくらそこら中を探し歩いても見つからないし、オモユでもと思っても一粒もお米はないし、もうこうなったら何でもいいんですから――
金吾 そうでやすか……そいじゃ、これを――(と懐から袋を出して、その中からホシイをつかみ出す)金太、そこに紙があるべ。
金太 あい。(紙の音)
老婆 ああっ! ありがとうございます! ありがとうございますよ!
金吾 たんとは上げられねえ。……いえ、珊瑚珠なんず貰ってもしょうがねえから、ようがすよ。
老婆 ありがとうございますよ!(手離しでオイオイ泣き出す)これで孫が助かります。そいじゃ――

[#ここから3字下げ]
(その紙包を両手で持って、泣きながら、横丁を走って去る)

遠くで、ダダーンと高射砲の音。また歩き出す金吾と金太郎。
[#ここで字下げ終わり]

金太 ……いやだなあ、お父ちゃん。
金吾 うむ……(歩いて行く二人の足音。このあたりからボツリボツリと通りすぎて行く人の気配がしはじめる)
中年の男(これは酔っているのか、やけくそなのか、フラフラと歩いて来ながら、衰えた、しかし、何か投げやりな声で歌をうたって、金吾達とすれちがって行く)ああ、ああ、あの声でエ……(二節ばかり歌って、ひどい嘲笑をこめた声で)天皇陛下ばんざーいっ!
金吾 ……(立止って)ええ、ちょっとうかがいやすが、銀座の方へはこちらへ行ったら出やしょうか?
警官 銀座? そうさねえ、この電車の線路について真すぐ行くと新橋の省線のガード下をくぐるから、そしたら左に折れて行くと銀座だ。
金吾 どうもありがとうございやした。(また二人は歩いて行く。そこへだしぬけに、近くで空襲警報のサイレン。遠くで、言葉のはっきりしないラジオの叫び)
警防団員二(ちょっと離れた所で)待避! 待避だ! 待避!

[#ここから3字下げ]
あわただしく駈け出した二三
前へ 次へ
全31ページ中27ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング