Bでもまあ、あんなに戦争を恐がっている春さんのためには、野辺山にああして過ごしていられれば何よりだと思っていましたところへ、またヒョンなことで、こちらへ春さんが出てきてしまうことになったのです。
それは、敏子ちゃんをあんな風にして、新橋の置屋から私の手許に引きとって以来、私の主人の貿易の方の店の方に、会計その他の仕事をやらせて四五年たちましてね、それは綺麗な娘さんになりましたが、恰度私達夫婦に子供がありませんので、広島の方の私の親戚から杉夫という甥を引取って養子にしてありましてね。
その杉夫に私達の内を継がせるということで、恰度暫く前から出していた銀座裏の支店を杉夫に委せてやらしていまして、そこへ敏子ちゃんを会計係として置いてあったのですが、この杉夫と敏ちゃんが、想いあうようになりましてね、それが両方とも浮いた気持でないということがよく分ったものですから、近い将来に結婚させてあげようと思っていたんです。
春さんにも相談しましたら、春さんも大賛成で……そこへ大東亜戦争が始まる。で学生時代に肋膜をやったりしていたために、兵隊の方はなかった筈の杉夫に、急に召集令状が参りましてね、仕方がありません、一週間ばかりのうちに、広島の部隊に入隊するということになったんですが、さあ、そうなって困ったのは杉夫と敏ちゃんのことで、杉夫の方はこの際結婚のことは一応破談にして入隊すると言います。
しかし敏ちゃんの方は、この際、ぜひ結婚式をあげてくれと言って、泣いてたのむ始末で、両方で自分の考えを言い張って、どうしても話がまとまりませんの。
春さんに相談したくても、遠い信州で、それに頭があんな風になっておいでだし、横浜の敏行さんに相談したくても、これはもう、よりつきもしない有様で、そういってる間にも、広島の部隊に入隊しなければならない日は迫ってきます。
どうにも決めかねて、とにかくにもというので、野辺山の春さんの方へそう言ってやったのです。しますと……。
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凍てついてゴツゴツした小道を、春子、お仙、金太郎、金吾の四人が、駅の方へ急いで行く足音。先頭にジョンが駈け廻りながらついてきながら、時々吠える。
ビューッと風の音。
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金吾 そいじゃな、お仙ちゃん、お父うやおっかあによくそう言ってくれろ。春子おばさんがどうしても東京へ行くと言ってきかねえから、俺あ二三日ついて行ってくるからちってな。
お仙 でも、こんなに戦争恐がっとるおばさんが、どうしてそんな東京へ戻りてえずら? よしゃいいにな。
金吾 それがな、敦子さまから手紙が来て、ほら、お前も知ってる敏子さんがお嫁に行く筈になっていた杉夫つう人が、今度出征するそうでな、いや敦子さまの方では、別に上京して来いなんずとは言って来てねえが、春子おばさん、どうしても上京するつうてきかねえから。金太は海尻の内で待っててくれ。どうで帰りには、海尻の方で降りて、一緒にこっちへ上《のぼ》って来べえ。
金太 どうしたんかなあ、おばさん、きんにょ[#「きんにょ」に傍点]も俺が、東京へなんぞ行ったって、大戦争が始まったんだから、恐えことばかりだから行くな行くなって言うとね、しまいに泣くだよ。私は死んだって東京へ行って、敏子やそのお婿さんに逢うだと。
お仙 しょうがねえなあ。(先に行く春子に声をかける)おばさん、そんなに急いで行くと、ころびやすよ。
春子[#「春子」は底本では「敏子」] (ふり返りながら)お仙ちゃん、だって急がないと、汽車に乗り遅れるわ。
お仙 なあに大丈夫よ。野辺山なら下りの汽車が来る迄、上りの汽車は待ってるだから。
金太 お姉ちゃん、おばさんの手を引いてやれよ。
お仙 おい、(春子に近づいて、手を引いてやる。ジョンがずっと先で吠える)
金太 お父ちゃん、その荷物俺が持つべ。
金吾 なあに、荷物はいいから、そうさな、この金でな、お前先に行って東京――新宿までだ。新宿までの切符を二枚買っといてくれ。そいから、お前とお仙ちゃんの海尻迄の切符を二枚だ。
金太 あい。
金吾 そいからな、大がい今頃はトラクターは動かさねえが、どうにかすると駅の前あたりでやってることがあらあ。あれを見せると、おばさんまた恐がるからな、トラクター居るかいねえか、見てくれ。見たらな、引返して知らしてくれりゃ、傍《わき》の道から停車場に入るからな。
金太 あい!(元気よくかけ出して行く)
春子 あら金太さん、何処へ行くの?
金太 先に行って切符買っとくだ。(遠ざかり行く金太郎の声の後を追って、ジョンがワンワンと吠えながら)
春子 ジョン! ジョン!
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(少し離れたところを列車がゴウーッ、シュッと通りすぎて行く音)
[#ここで字下げ終わり]
お仙 あっ、汽車がきた!
春子 あっ、恐い! 戦争がやってくる!
金吾 ほら、始まった。(傍へ行って片手を握って)春さん、戦争だねえ、汽車でがすよ、汽車だ。
春子 金吾さん、恐い!
お仙 だから、そんなに恐いんだから、東京へ行くのはよしにしたらええのに、なあ、おばさん。
春子 お仙ちゃん、そんなこと言わないで、私を東京へやって。敏子に私言わなければならないことがあるの。恐くなんかない、恐くなんかないから。
お仙 しょうねえなあ。
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ビッューとすべての音を吹きとばして行く風の音。
駅で発車しかけた列車の機関の音。
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金吾 (上りの列車に春子と共にのって、その窓から、下りの列車にのっている金太郎とお仙に向って)そいじゃお仙ちゃん、金太よ、俺あ行ってくるからな、海尻の父ちゃんやかあちゃんにはよろしく言ってな。
金太 あい!
お仙 そいじゃ行っておいでなし。春子おばさん、又すぐこっちい来るだよ!
春子 お仙ちゃん、金太ちゃん、あの――金吾さん、私恐い!
金吾 (その春子の肩をしっかりと抑えて)恐くなんかねえ、春さん、こらあ汽車だ。こら、ただの汽車だから、恐くなんかねえ!
(それらの声をかき消すように機関のエキゾーストと、バァーと鳴りひびく汽笛。
同時に、上りの列車が動きはじめる。それに向って、お仙と金太郎が「行っておいでなんし」、「おばさーん」と言ってるらしい声。)
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進行する列車の、ガァッー、ガタ、ガタ、ガタ、というひびき。それが、おびやかすようにしばらく続く。
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金吾 へえ、わしには何にもわからねえんでやして、春さんがどうしても東京へ行くだちって、仕方がねえんで、俺あ、へえ、ただこうして、お連れしてきただけでやす。へえ、途中も大変でした。飛行機の音だとか、変な音をきくと、戦争がくる、戦争がくるって、ガタガタ震えなさいやしてね、駅からここ迄来る間にしたって、何度もおびえてかけ出す始末でね。へえ、よっぽどくたびれなしたと見えて、敏子さまのお顔を一目見るなり、こうして寝こけちゃったような有様。俺あ、へえ、この人をここへ連れてくるだけの用事でやって来やしたんで、皆さんからそんなこと言われても、俺には、へえ、何と返答していいんだかわからねえんでやすよ。
敏子 (二十一、二の立派な女性になっている。一生懸命な調子で)金吾おじさん、おじさんから今更そんな、他人行儀なご挨拶をききたいとは私思わないんです。私はもうずっと以前から、金吾おじさんのことをホントのお父さんだと思っているんです。ことに、こうして母が頭を悪くしているんですから、私の一身上のことに関しては、金吾おじさんのおっしゃるとおりに、私しようと思うの。ホントにお願いですから、どうしたらいいか、はっきり言って下さい。杉夫さんは明日の朝早く、広島に立たなくちゃならないんです。だのに杉夫さんも敦子おばさんも、木戸のおじさんも、なんにも返事をして下さらない、ひどいわ、ひどい!
敦子 まあまあ敏ちゃん、あんたがそんなに一人でジレテも問題が問題で、誰にもハッキリ言えないのよ。だからまあこうして、もう時間もないし、しかたがないからみんなでこうやって一ツ部屋に集ってことを決めようとしてるんですからね。まあまあ……ごらんなさい。春さんはこうして、眠ってしまったし、ホントによっぽどくたびれたのね。まあ、一ときすれば眼が覚めるだろうから、そしたらやっぱし、春さんの意見がこの際一番大事だろうと思うの私は、それを一とき待っていましょう。
敏子 だってお母さんは、何をいい出すかわからないし、大体事柄がのみこめやしないと私思うの。
杉夫 (しっかりした語調で)だけど敏ちゃん、この問題については、僕と君との当時者の意見が一番大事だと思う。それがもうきまっているんだから、もう問題はないんだ。
敏子 だから杉夫さん、私は――
杉夫 だから僕は、こういう際に君と結婚することは問題にならんし、この際、今迄の君との婚約も一応取消したいと言ってるんだ。
敏子 すると私はどうなるんです?
杉夫 でも、出征するのは僕なんだから――
敏子 だって私はね、杉夫さん――
木戸 そうだ、出征するのが杉夫で、そして現在出征するというのが、どういうことを意味するか……とにかくその覚悟がなければなるまい、今となっては。まあまあ敏ちゃん、そこのところは、あんたも察してあげなくちゃならんと思う。わしらとしても、杉夫が、木戸家の養子になって、私達の後を継ぐ人間であるためにこれ以上のことは言えない。まあ、この際は一応結婚は取消すということにしておくのが一番よくはないかね。
金吾 しかし木戸さん、敏子さんがこれだけおっしゃっているというのはですね、よくよくの、この――
敦子 金吾さん。あなたのおっしゃろうとすることは私にはわかるけど、しかしね、今主人の言った、この際そういうわけにはいかないんで、いえ、これの親は――母親だけですけど、広島の田舎に居ましてね、まあ、こういうことについても、ホントから言えば相談しなきゃならないんでしょうけど、実は向うでも、まあ何から何まですっかり私達に任せてありましてね、こんだ入隊する前に母親とも逢って行くわけなんですけど……私達はこれ以上のことは言えない。
敏子 (その場の空気におされて、涙を流している)しかしおばさん、すると私はこのあと、どうして行けばいいんです? どうして生きていけばいいんですの?(畳に泣き伏す)
杉夫 (気持をおしこらえたまま)敏ちゃん、君がそう言ってくれる気持はありがたいと思う。しかし、その君の気持を僕は受けられないんだ。それをわかってくれ。今わからなければ、二年か三年たってから必ずわかってくれると思うんだ。
敦子 (傍を見て)あら、どうしたの春子さん? 眼が覚めた?(春子がムックリと起き直る気配)
春子[#「春子」は底本では「敏子」] うん。(子供のように頷く)
金吾 どうしやした、春さん?
春子[#「春子」は底本では「敏子」] (子供が読本でも読むように、非常に単純な言い方で、スラスラと殆ど一息に言う)……いいえ、私は眠っちゃいません。みんな聞いているの。私は敏子の母親です。敏ちゃん、私はね、頭が馬鹿だけど、私はあんたのお母さんよ、だから、私の言うとおりにしてね、あなたは杉夫さんと結婚しなくてはいけません。杉夫さんもなんでもいいから敏子と結婚しなくてはいけませんよ。
杉夫 だけど、僕はもうすぐ出征しなくちゃならない人間です。
春子[#「春子」は底本では「敏子」] 出征なさろうと、何をなさろうと、そんなことどうでもいいの。あなたは敏子をお好きでしょ? 戦争に行くのでなければ、結婚したいと思っているのでしょ?
杉夫 ええ、そりゃそうです。
春子[#「春子」は底本では「敏子」] それならば結婚して下さい。私は敏子の母親です。その、私が言うのです! すぐに結婚して下さい。
敦子 でもねえ春子さん、必ず死ぬということを考えないでは戦争には行けやしないのよ、杉夫がもしそうなったら、敏ちゃんは後に残ってどうするんですか。結婚式を挙げたばかりで敏ちゃんの方は未亡人。みすみす不幸の中に落ちることになるのよ。
春子
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