「か?
金吾 へえ、そりゃ、私あ、かまわねえんでがすが!
敏子 駄目、小父さんっ! そんな事しては駄目よっ! そうよ、私は憶えているの! 小さい時から母さんや私が、お父さんからどんなひどい目に会ったか! 忘れるものですか! それが今さら、又々そんなうまい事を言って小父さんをしぼり取ろうとしたって、私が許さない! お金を貸してはいけないのよ、小父さん! そうよ、私のホントのお父さんは、この金吾小父さんよ! 小父さんが私のお父さんよ!
敏行┐へっへへ。
金吾┘まあま、敏子さま!
敏子 お母さんが、この人のためにどんなに苦しんだか! お父さんなんか大嫌い! 私のホントのお父さんは金吾小父さんよっ!(怒り泣きに泣く)
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すこし離れた街角を号外売りの鈴の音が、けたたましく通りすぎる。
(音楽)
[#ここで字下げ終わり]
[#3字下げ]第13[#「13」は縦中横]回[#「第13回」は中見出し]
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敦子
鶴
春子
金吾
村山(工員)
源次(事務長)
古賀(工員)
助三(工員)
須川(工員)
嘉六(工員)
小母さん
その娘(十六歳)
音楽
[#ここで字下げ終わり]
鶴 ほんとに敦子さま、お宅の方にうかがいますと、奥様は御病気で入院なすっているとおっしゃるじゃございませんか、びっくりいたしましてねえ。
敦子 (ベッドをきしませて)いえ、私の病気なんぞ、ホントはなんでもないの、実は、満洲でああして戦争みたいになっちまって、主人は商売のことで先日から朝鮮の方に出かけて、その留守にツイ私もお店の方に加勢に行ったりして少し無理をしたのね。ちょっと風邪をこじらしたような加減で、いっそ入院しちゃって身体を休めちまおうと思ってね、もう熱も大分引いたし、大したことはないのよ。でもホントによく訪ねて来て下すったわねえ、十何年になるかしら? そいで春子さんにはお逢いになって? 私はかけちがって、もうズーッと逢ってないけど、たしか麻布の横田さんの方に同居しているとかって?
鶴 それがもう。そこにはいらっしゃいませんので。――実は私が上京しましたというのが、先日春子さまからおはがきをいただきまして、敏子の身の上のことについて困ったことが起きているといったような事が書いてございまして――敏子さまは、そういってはなんでございますが、お小さい時からなんですか自分の娘のような気がいたしておりますので、もう心配で心配で、そいで思い切って出て参りましたようなわけで。そしたら、敏子さまはお父さまの手で、間もなく芸者にお出になるとかって。
敦子 え、芸者に? 敏ちゃんが? だって、あの子は、その市川の方の、先に里子に出されていた内に手伝いで働いていると――
鶴 私も実はそうとばかり思って、市川の方へも行ってみたんでございます、したら――
敦子 だって、敏行なんて人が、今さらあの子を芸者に出すなんてこと、出来る道理は無いじゃありませんの! いえ敏行さんは、ズーッとこの横浜の野毛あたりに住んでいるそうでね、一度私も行き会ったことがあるの。なんか、とてもガラの悪い女の人と一緒でね。とにかく、永いこと春子さんたちに対してあんなシウチをつづけた人が今さら敏ちゃんをそんな――それで春さんは全体それに対してどうなすったの?
鶴 その春子奥様が今どこにいらっしゃるか、わからないので困るんでございます。いえ、初めから話さないと判りません。で、私、そのハガキにあります麻布の元のお内へ参ったんでございます。したら、今は石川さんという表札が出ておりまして、そいでこれこれだと申しましても、誰も相手になってくれないんでして、しまいに何かおめかけさんといったふうの年増の人が出て来まして、もう出してしまった飯たき女中のことなぞわかりませんよと、そう言ってどなりつけるんですよ。しかたがありませんので、今言った市川の内へ参りました。すると、敏子さまは暫く前に横浜のお父さんが連れてお帰りになって、新橋の芸者屋さんに預けられているというじゃございませんか。それで私、新橋のそのおぐらという家へ行ったんでございます。可哀想に敏子さまはもうすっかり芸者の下地ッ子におなりで、久しぶりに私をみて、いきなりオイオイお泣きになりましてね。(鼻をつまらして)それで、いろいろお話をうかがったんですけど、ちょうど私の行きました前の日に、信州の柳沢の金吾さんがたずねていらしたそうで。
敦子 え、金吾さんが?
鶴 はい。それで金吾さんもあちこち春子さまを探しなすっても、やっぱり会えないそうで。そいで三千円とかのお金を敏子さんに渡して下さったそうですけどね、そこへちょうど敏行さまがお見えになって、その金をそっくり自分に貸してくれとおっしゃったそうで。敏子さまは泣いて反対なすったそうですけどね、金吾さんはしかたなくその金を敏行さまに渡してしまいなすったそうでございます。それで、まあ、敏子さまが金吾さんにお母さまは、もしかすると横浜の敦子おばさまの方か、秩父の方かもしれないとおっしゃったそうで――。ですから実は私、こちらへうかがいませば金吾さんとも会えるかもわからないと思いながら参ったのでございます。
敦子 そう! そうだったの。すると金吾さん、秩父の方へ先きに行ったかもしれないわね。いえ、敏ちゃんの事は私の方で引うけました。どうせ主人がもう四五日もすれば戻って来ますしね。いえ、案外にそういう所の名の知れた芸者屋さんなどでは、そういう事でいい加減な事はしないものです。大丈夫、私にまかしといてちょうだい。ただ、金吾さんはそうやって、勝手もよく知らない東京をウロウロして、ひどい目に逢って可哀想にねえ……なぜ、真っすぐここへやって来てくれないのかしら?
鶴 やっぱり、なんじゃございませんでしょうか、敦子奥様にはこれまであんまり御面倒をおかけしているので、そうそうは来にくいのではないでしょうか? 春子奥様にしても同じことだと存じますけど……
敦子 春さんはあれは特別よ。何をそんなにウロチョロしているのだろう。横田なんていう人からいいようにされて来たことだって、どうも様子が、以前、敏行さんが病気になった時なぞに、横田からお金を何度か借りたのね。それを返せ、返せなければその代りにと言うので春さん、さんざんこき使われたり、いいようにされた。それから、うちの主人の話では、横田がセメント会社を乗り取る時に、株式のことやなんかで、ずいぶんいかがわしいことをしたらしいの。敏行さんが、それを訴えるとかいうことになったこともあるらしいのね。その時の事情を春子さんが知っていて、これが訴訟事件にでもなると、春子さんがノッピキのならない証人になるかも知れないと横田の方では思っているらしいのね。なに、春さんはそんなことを、それ程深く知っているものですか、かりに知っていても、そんな手ごわいことのできる人じゃないのよ。ところが横田の方では、それを恐がっていて、その為に春さんをおさえつけて、世間の表面へ出てこないよう、出てこないようにしているらしいの。秩父のセメント山の事務所なぞに押しこめられたりしていたのが、やっぱりそういうわけらしいの。今度もあるいは春子さん、あすこじゃないかしら。ずうっとせん、春子さんをたずねて私も一度行ったことがあるのよ。そりゃひどい所でね、事務所なんて言うよりまあ土方の飯場だわね。働いているのも荒くれた人たちばかりで、場所だって、あなた、いきなり山の横腹をたちわって、その片隅にその事務所があるんだけど、鉱石を運ぶ、あれはケーブルと言うんですかね、昼も夜もえらい音がしててね……。
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敦子の言葉にダブって、ケーブルで鉱石を運ぶ音が、ガラガラガラガラ、ガラガラガラガラ、ガラガラガラ。そして時々、何処かでジャーッという音が、谷あいに反響して聞える。
石ころだらけの道を、こちらから金吾が歩いて行く下駄の音。
[#ここで字下げ終わり]
村山 (若い工夫、酔っている。ゆっくりとこちらへ歩いて来ながら草津節)……お医者さんでも、草津の湯でもドッコイショ! 惚れた病いは、コリャ、なおりやせぬよ、チョイナチョイナ。
金吾 あのう、ちょっくら、うかがいますが――
村山 (立止って、ジロジロ見ながら、まだうたっている)……惚れた病いも……なんだよ?
金吾 東洋鉱山株式会社つうのは、こちらでございやしょうか?
村山 東洋鉱山? うん、そうだよ。
金吾 ええと、で、事務所はどちらでございやしょうか?
村山 事務所はそこだが、今日は山祭りの休みで居残った連中だけで一杯飲んでるから、仕事の話は駄目だろうぜ。
金吾 いえ、あの、春子さま――黒田春子という人が居りやしょうか?
村山 春子――さま? 女かよ? ここは男ばっかりで女はいねえなあ。何をやる人だい?
金吾 さあ、それは、はっきりしませんが――
村山 ああ、炊事場のお春さんかあ! 春子さまだなんて言うからわからねえじゃねえか。お春さんなら居るよ。あすこだ。
金吾 そうでやすか、どうもありがとうござりやした、そいじゃ――(歩き出す)
村山 (歌のつづき)……惚れた病いもなおせばなおる、ドッコイショ、好いたお方と、コリャ、添やなおる、チョイナ、チョイナ――(反対側に消えて行く)
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マイクは金吾の足音について行く。飯場小屋の内部から、人々の笑いさざめく声。
[#ここで字下げ終わり]
金吾 (板戸をノックする)ごめんなさいやし。あの、ちょっくらごめんなすって。
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返事はなく、内部で若い工夫二三人が「コリャ、コリャ」と言って、茶碗酒を飲むらしい音。
[#ここで字下げ終わり]
金吾 ええ、ごめんなすって。ちょっくらごめんなすって(板戸をノック。返事なし)ええと――(仕方なく、板戸をソッと引き開ける音。それに向って、内部からいきなり五六人の工夫達が酒に酔って騒いでる声がぶっつけるように)
源次 (事務長)ははははは、さあさあお春さん、一杯飲めよ。今日は山祭りの無礼講だ。こんで男っばかりだからな、ふだんはお春婆さんだが、今日はたった一人の女ご[#「女ご」に傍点]で、言ってみりゃ女王様だあななあ、古賀。
古賀 ははは、まったくだい。なあに、こいでもお春さんなんてえ女は、暫く前まで社長の第三号か、第五号の想い者だったんだ。鶯鳴かせた春もあるという婆さんだかんな、ははは。
助三 さあさ、お春婆さんよ。飲みな飲みな、え?(茶碗に酒をつぐ音)
春子 (しいられた酒でもうかなり酔っている)いえ、もう、私はいけませんからかんべんして下さいよ。
須川 なあに、いけないなんて嘘うつけ! さあ飲めよ。
嘉六 お春さんが飲み残したら、俺が加勢してやろうじゃねえか。なあよ!
金吾 ああ、春子さま!
春子 え? ……(土間の隅の板椅子から入り口に立っている金吾を見て、フイにそれと気がついて)ああ、金吾さん!
金吾 春子さま!
春子 金吾さん、あなたはどうしてこんな所へ――?
金吾 お手紙をもらいやして、そいであちこち探しまわって――
春子 そう、それは……(立上つてそちらへ行きそうにする)
源次 え、なんだって? なんだ?(と、金吾へ向って立上る)君あ、なんだ? 何しにやって来た?
金吾 へ、こんちは。俺はこの春子さまの知り合でがして――
古賀 春子さま? なんだ、笑わすなよ、へへへ。
助三 なんだい、この男? もしかするとなんじゃないかえ、事務長。いつか社長がこの婆さんに虫がついているとかちった、そいつじゃねえのか、この男は?
春子 いえ、そんな、これはあの、金吾さんといいまして、あの――
源次 (金吾に向って)金吾――そいで、何しに君あやって来たんだい?
金吾 いえ、別に……ただ、この春子さまの、わしあ親戚みたいなもんでやして――
源次 しかしねえ、このお春さんは、ここの社長から僕が預かっている人でね、誰が来ても渡しちゃならんと言われているんだから、僕には責任があるんでね。まあまあやって来たんだから、こう
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