ッて卑屈な調子で)だけどねえ、おかみ、私は敏子の実の父親だ。それがなん度も出むいて来て、こうして戸籍とう本までそろえてなにしているんだから、ここらで話をきめてもらってもよいと思うがね。
おかみ ええ、ええ、それを疑うわけじゃありませんよ。けどね、二三日前、あの子のおっ母さんが見えて下すったそうで。私はお目にかかりませんでしたけどね、なんでも敏ちゃんを出すのを望んでいらっしゃらないような口ぶりだったそうで。そこへあなたが、こうして丸抱えの話などを、おせきになっても、私の方でもハイそうですかでお受けはできないんですよ。そりゃ敏ちゃんて子は、おあずかりして以来見ていますと三味線や踊りも筋が良いようだし、気立てはあの通り、あたしたちも、出すんだったら内からと思って楽しみにして――今もああやってお師匠さんが見えて何かやっているようですけどね。ですから、いずれにしろ話がきまればお金の方はいつでも準備してございますけど、今言った通り、お内の方《ほう》でいろいろになっているようでは今が今と言われても――
敏行 そりゃね、可愛いい娘を芸者に出そうというんじゃから、いろいろの訳があるのは当然で――私も事業が手ちがいつづきの上に二度も三度も病気になったりしてね、そいで、今度、浜の方に貿易の仕事の口があってね、満洲でこうして事が起きると、これが機会だからね、一度上海に渡って見たいと思う。つまりその旅費やなんか、この際どうしても少し金が要るんでね、ひとつ、おなじみ甲斐に何とか都合をつけてもらえないかねえ?
おかみ いろいろ御事情がおありなことはわかります。けど、なん度も申し上げるようですけど、こんな話は無理をすると後で困ることになりますんで。ですから、その実のおっ母さんとお話し合い下さってそちらの話がかたまってから手つづきをさせてもらいましょう。それまでは敏ちゃんの方は私の方で責任をもっておあずかりして仕込むことだけはちゃんと仕込んで置きますから。
敏行 そうかねえ。金が実は大至急にいるんじゃが。弱ったねえ……もしかすると、その横田の方だな――なんでも敏子のことを聞きつけて、あれの身がらを柳橋の方へソックリ連れて行きたいと言ってるそうだが――横田から、こちらへ金でも出てるんじゃないだろうね?
おかみ (むっとするが、さりげなく笑いにまぎらして)ほほ、そりゃ、そういう話もちょっと有りますがね、しかしそんな事はこれから一本でお座敷に出ようという子の前人気みたいなもので――ですけど、横田さんから金をもらったために私がこんな話をしているように取られちゃ、いかになんでもこの小倉の内ののれん[#「のれん」に傍点]が可哀そうじゃございますまいかねえ。旦那も一昔以前はここいらであれだけ羽ぶりをきかした方なのに、それがそういう事をおっしゃりはじめると話がおもしろくなくなっちまうんですけどねえ。じゃ本人を呼んで一度聞いて見ましょう[#「見ましょう」は底本では「見ょしまう」]。本人は横田さんの話も嫌がっているようですけど、お父さんのあなたのお話も、なんですかあまり喜こんじゃいないようですよ。
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(ポンポンと手を叩く)
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清乃 (若い芸者。次ぎの室から)はい。……(と言って出て来て)御用ですか?
おかみ あのねえ……あら清乃ちゃん、あんた田口の御宴会の方、お約束だったろ?
清乃 はあ、あれは三時ですから。
おかみ でも、そろそろ髪ゆいさんの方へでも行ってなにしないと。あのね、裏の座敷でみんな、お稽古だろ。敏子ちゃんにチョイとこっちへ来てちょうだいと、そ言って。
清乃 あら、敏ちゃんなら、さっきチョット裏から出て行ったんですけど。お客さんが見えて。
おかみ お客? すると又おっ母さんでも来たの?
清乃 いえ男の人ですけど。あたしが取り次いであげたから――なんですか、田舎言葉の、ゴツゴツした。そいで敏子さまにお目にかかりたい、敏子さまと言うんですの。柳沢の金、なんとかって。
敏行 え? 柳沢の金吾が?
清乃 はあ、とても人の良さそうな――で敏ちゃんにそう言ったら、敏ちゃん飛びあがるようにして一緒に裏から出かけたんですから、公園の方へでも行ったんじゃないでしょうか――

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音楽(昭和十年ごろのフォックス・トロットのレコード曲。烏森を芝公園の方向へ出はずれる辺の町通りの喫茶店からの)

金吾の下駄の音と敏子のポックリの音が並んで行く。
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敏子 (十六位になっている。昂奮している)あのね、清乃ねえさん[#「ねえさん」は底本では「ねえんさ」]が金吾々々と言うんだけど、はじめわからないの! そいでヒョイと覗いたら、金吾小父さんだわ! びっくりしちゃった!
金吾 (敏子の美しい姿を見上げ見おろしながら)いやあ、わしもぶったまげやした。あのちっちゃな敏子さまが、こんなイカクなっていようとは夢にも思っていなかっただから!(二人の会話は、まるで久しぶりに逢った仲良しの子供が話しているようにあどけない)
敏子 ほほ! 私そんなに大きくなった?
金吾 大きくなりやした! はは!
敏子 金吾小父さんも、とても――(と金吾の横顔をマジマジと見て)あの、髪の毛が白くなっちゃったわ!
金吾 はは、そりゃもう、しょうがねえでさ。
敏子 ほら!(と金吾の頬に手でさわる)こんな、おヒゲまで白くなって――(不意に涙声になる)まっ白だわあ!(オイオイ泣く)
金吾 (あわてて)これこれ人が見るだから、そんな敏子さま!
敏子 (涙声のままで快活に笑い出す)小父さん、今でも盆踊りの歌、うたってる?
金吾 木仏金仏でやすか? 歌いやすよ。敏子さま、あれが好きだったなあ。
敏子 そいから山奥の小びとのお囃し、聞こえてくる?
金吾 はは、聞こえてきやす。
敏子 行きたいな信州へ! あたしね、今、小倉にこうやってあずけられていてね、おかみさんはとても良い人だし、芸ごとを習うのもイヤじゃないんだけど、とにかく芸者になるんでしょ。急にイヤになることがあるの。おさらいなんかしてる時にヒョッと信州思い出すと、三味線なんか放りだしてしまって駆け出して小父さんとこに行きたくなるの。
金吾 そうでやすか。……いや実はお母さまから手紙がきやしてね、敏子さまが芸者になると書いてあるもんで、俺あ心配になって、こうやって出てきやしたけどね、お母さまは今どこにいらっしゃるんで? 麻布の石川さんという内にも行きやしたけんど、そこにもいらっしゃらねえし、そこの女中さんから教えられてこっちへ来やした。
敏子 お母さん、三四日前にチョッと私んとこに寄ったわ……小父さん、この向うへ渡りましょ。向うが公園でね……(二人が急ぎ足で電車道を横切って行く足音)ほら、一杯木があるでしょ? あたしつらくなると時々ここへ来ちゃ、お母さんや小父さんのこと考えてるの。このベンチに掛けない?
金吾 (並んでベンチにかける)……そいで、お母さまはどこへ行かれたんでやしょう?
敏子 それが私にもハッキリ言わないの。横浜の敦子小母さまの所に行くんだとか、秩父のセメント山の方へ寄るとか言ってたけど。横浜の父がああして私の事でチョイチョイ来るし、それから横田の小父さんがお母さんをいじめるので、あちこち逃げまわるようにしているのね。
金吾 すると敏子さまを芸者に出すという話は?
敏子 お母さんは反対なの。だのに父がどうしても金が要ると言ってね。以前知り合いだったとかで私を小倉へ連れてきてね、いえ、まだ、こうしてあずけられているだけだけど。そこい横田の小父さんが私のことで金を出そうと言うんだけど、父は昔自分が使っていた人なのでそれを嫌がっているのね。母は間に立って、もうどうしていいかわからなくなって困っているようなの。くわしい事は私にはわかんないわ。
金吾 とにかく俺あ春子さまに一応お目にかかって、そんで俺あ、これから敦子さまのお内へ行くか、秩父の方へ行って見るか、とにかく俺あ出来るだけの事はしやすから。とにかく敏子さま、これはな――(いいながらふところの財布から金を取り出して)ここに三千円ありやす。こりゃ、あなたさまの事で春子さまにお渡しする気で持ってきた金で、あんたさまにお渡ししときやすから、その芸者屋のおかみさんにお渡し下さるなり、俺にゃそったら事わからねえから!
敏子 でも、こんな大金、私困るわ。お母さんに渡して。
金吾 いや春子さまにゃ春子さまに、まだもうすこし持っていやすから、御遠慮はいらねえ。
敏子 だって小父さん、お百姓してこんな大金ためるの大変でしょ? どうして、そんな?
金吾 なに、どうしてもヘチマも無え。実あこんだ敏子さまを見たトタンに俺あハッとしてな、はは! 俺が春子さまにお目にかかった時と、今の敏子さまは、爪二つと言ってもソックリだあ。こうして話していても春子さまと話しているような気がしやす。はは、そんでよ、だから――
敏子 そう? 小父さんは、そうやって――(又涙声になる)あのね、小父さんはもしかすると私のホントのお父さんじゃなくって?
金吾 え? ホントのお父さん? そんな事あ無え。敏子さまのお父さまは敏行さまと言う立派な――
敏子 立派な父が、自分の娘を芸者に売ったりするかしら? お母さんだって私の小さい時から父からはいじめられてばかりいるわ。私ときどきそう思う、小父さん、どうして私のホントのお父さんになってくれなかったの?
金吾 そんな事お言いやしても。とにかく、この金はしまっといて下せえ。
敏子 だって私がお金いただいても、どうしていいかわかんないから、母さんにそう言って――
敏行 (それまでにゾウリの音を忍ばせてベンチの背後に来て立聞いていたのが、寄って来て)春子には後で私から言うから、その金は私に貸しといてくれないかねえ?
敏子 あら、お父さん! いつの間にここへ?
敏行 へへ、金吾君が訪ねて来て二人でこっちへ来たと言うからね後をつけてきたが、夢中になって気がつかないようだったな。
金吾 こりゃ、敏行さまでやしたか。しばらくお目にかからねえで。
敏行 やあ、はは、君あ相変らずお元気のようだね。私は、ごらんの通り、もういけないよ。今では妻や子供にも捨てられてしまったようなテイクラクでね。
敏子 嘘っ! 嘘だわ! お母さんや私を捨てたのはお父さんじゃありませんか。おめかけさんが二人もいたのを忘れたと思つて? そして今は又私を芸者にしようとしている。よくもそんな大嘘を!
敏行 まあまあ。お前なぞにはなんにもわかりゃしないんだ。いや金吾君、いろいろわけがあってね。はは、春子のあとで一緒に暮していた女とも別れてね。いや人間落ちめになるとみんな離れて行くもんだ。横田なんて奴が今じゃハブリをきかしてな、春子などもその後いろいろ男を渡り歩いて、間に、横田のめかけみたいになった事もあるらしいがね、それもこれもこっちに金が無いのだから仕方がない。ただこの敏子にまで横田がサツビラを切って手をかけようとしている。こいつだけは、いかな私も我慢がならないんだ。察してくれたまえ金吾君。だから本来この子を芸者なぞには出したくないんだがね、私も今のままではしょうがないんで、ちょうど浜の方に口があるし、御存じの満洲がああだしな、乗るかそるかもう一度やって見たい、それでどうしても五六千いるんだ。どうだろう、その金を一時拝借させてくれないか。勿論私が立ち直ったら二倍にしてお返しする。その代り――代りと言っちゃなんだが、この敏子も芸者にしないですむし、春子のことも一切君におまかせしてもいい。どうだろう?
金吾 へえ、そりゃ私の方はどうせ使ってもらうつもりで持って来たものでやすから!
敏子 駄目っ! 小父さん、こんなお父さんの言うことなぞ真に受けては駄目よ!
敏行 はは、さっきからお前が言ってたホントの父親ではないと言うわけか? 金吾君、人間も落ちぶれると自分の娘から、こんなことまで言われるよ。まあいい、何とでも言いなさい! どうだな金吾君、私を助けると思って、それだけの金そっくり貸してくれな
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