謔、と思ってかるく笑って)山奥で仙人が笛太鼓鳴らしてとおっしゃると、あれで敏子さまもあんたさまのお子さんでやすかねえ、今日の昼間、このうらの山へ蝶々つかまえに俺が連れて行ってやしたら、似たようなことを言ってやしたよ、はは。
春子 そうお……(ふり返って、奥の寝所で寝ている少女の方を見て)ああ、あんなによく眠っているわ、ここへきてから、あの子はホントに元気になった。いえ、この四、五年、父親から抱いて貰ったりしたこともない子でしてね、金吾さんが父親のような気がするんじゃないかしら、どんなこと言ってって?
金吾 今聞えてるはやしがやっぱし聞えてきたんでやす。すると敏子さまが、あれは誰が鳴らしてると聞くでね、俺が下の村の若いしたちがならしてる、というと、違う、あれは山奥で小人がならしてるんだ、と言いやしてね、そいで、あのはやしに合せて敏子さま、グルグル踊るようなことなさりながら、おじちゃん歌えと言ってね、なんと言ってもきかねえから、俺あ盆踊りの歌あうたったはは、
春子 そう、木ぶつ金ぶつと言う、あれね……(低い泣声を出して、しみじみと泣いている)……
金吾 春子さま、困りやすよ、そんな泣いてばかりいると、また身体悪くなさるから――
春子 ……(涙をふいて、カラリと明るい声で)ホホもうなかない、かんにんしてね、木ぶつ金ぶつはこの私だわ。こうしてさんざん苦労してやってきながら、その苦労が身にしみてだんだんかしこくなるということがないのよ。苦しい目にあうと、ただ苦しいだけで、どこかしらそれが上すべりをしてしまって、ボンヤリとただないているだけ、自分で不感症かしらと思うことがあるの。この六、七年にしたって、世間並から言えばずいぶんいろいろな目にあってきているのに、ただボウーッとして一つ一つのことは忘れちゃったようになってる。あれから敏行が会社の株式をゴマ化したとかで牢屋に入って一年半ばかり、小笠原さんや、横田などの言うとうりになって、ずい分いろんな目にあったの、しまいに敏行を助ける金をつくるためだというので、千葉の方へ行って芸者に出たりまでしたのよ、それから銀座の方で、割烹料理屋につとめたり、しまいに秩父の方の、そのセメント山の事務所の留守番をやらされたり、それで敏行がやっと牢屋から出てきたかと思うと病気になってね、その入院の費用を稼ぎ出すために、また銀座へ戻って、する中に、敏行の病気が治ったと思ったら、あの人は別の女の人と行方知れずになって、その後横浜にいるといいますけどね、セメント会社の方は、いつの間にか横田が社長のようなことになって……この六、七年をふり返ってみると、ホントに言うに言いきれないひどい目にあってきたわけなの。だのに、どういうんでしょう? そういう苦労はただ辛いだけで、ホントはちっとも身にしみないの、ただもう、体が弱りに弱るだけで、なにか自分の生活はここでこうしているこの生活だがはっきりわからないけど、どうも今自分がひどい目にあったり、相手にしているおかしな男の人などはみんな嘘で、別にどこかに私のホントの暮しはある、私のホントの相手の男の人は別にどこかにいる、そういう気がするの。そう思うと、きっとなくなったお父さまのことを思い出すのよ、だもんだから私を相手にする男の人が、すぐ私のことをつまらながるのね、すぐあきるの、面白くない、お前は空っぽだ、そう言うのよ、その筈だわ、からっぽですもの、わかる私の言うの、金吾さん。
金吾 俺にゃよくわからねえ、どうも。
春子 それで、そうやってさんざんな目にあって、その間、この敏子を抱えて、その間、二度も三度も里子に出したりしましたけどね、ずいぶんつらかった。敦子さんのことは年中思い出したけど、それまでにあんまり御心配をかけたんで、もうお世話になるのが心苦しくて、敦子さんの所へは行けないの、あの方のことだから、そりゃ私のことを心配して下さって、近頃では私の行先々を追っかけ廻すようにしていらっしゃる。でもどうせお目にかかってもまた心配をかけるだけだから悪くって、逃げ廻ってきたの。敦子さん今頃怒ってらっしゃるわ。ホントにすまないと思う。
金吾 そうでやすか。
春子 する中、ひょいと、ここのことを思い出したんで、それからあなたのことを思い出したんで。そしたら、ここに来れば、そしてあなたにあえば、そこにお父様もいらっしゃるような気がしたの。それでフラフラと汽車に乗ったのよ。それがしかし、二三日前から体の調子が悪いのと、お金がなくて食べるものを食べていないものだから、汽車を下りてすぐああして、わけがわからなくなって、お豊さんに助けていただいたんです。ホントに何と言っていいか――お豊さんて方、それから御主人の喜助さんですか、いい方たちだわね。
金吾 はあ、ありゃいい夫婦だ。俺なんずも、あの人達が居るんで助かってやすよ。
春子 敦子さんといい、ああいう人達といい、それから金吾さん、私の知っている人にはいい人がいっぱい居るわ。だのに、どうして私という人間は、いつまでも、しようが無いんだろう?
金吾 いつか一緒においでた鶴やさんというばあやさんはどうしてやす?
春子 鶴や? あれも、いい人間でね、でもそんなわけで私があちこちしてる間に、甥をたよって浜松の方へ引っこんでしまったの。
金吾 そうでやすか。
春子 ……(遠くの祭りばやしが調子を高める)私ね、ここにずうっと居さしてほしいように思うんだけど? そいで、だんだんにお百姓の仕事をあなたに教わろうと思うの。
金吾 いや、そりゃ、春子さまが居てえと思うだけおいでなしたらええ。この別荘は春子さまのものじゃから。
春子 だって、そんな……でも安心した、ここに居さしてね、金吾さん。
[#ここから3字下げ]
祭りばやしの音が、湧き立つように流れてくる。
それが、明るい、さわやかな、信州の音楽のテーマに変って――
よく晴れた、昼前の山荘をとりまく林に、小鳥たちが囀り騒ぐ音。
[#ここで字下げ終わり]
敏子 (快活な調子で)お母ちゃま、こんなきれいな花!
春子 (明るい快活な調子になっている)まあ、きれいね。敏ちゃん、あんまり向うへ行くんじゃないのよ。お母あちゃまはおじちゃんの加勢と、お昼の御飯の仕度がありますからね。あんまり遠くへ行くんじゃないのよ。
敏子 はあい!
春子 やれ、どっこいしょ。(金吾が刈り込んだソバの木の束を集めて、軒下へ運んでいる)
金吾 (ソバの木を刈り込みながら、これも明るい声で)春子さま、もうそりゃいいだから、すこし休んでござらして。あんまりいっぺんにそんなことするとくたびれる。
春子 なに、まだ平気よ。だけど夜はもうあんなに寒いのに、昼間こうして天気がいいと、まだなかなか暑いのね。ほら、こんな汗。
金吾 でやしょう? でも、これから一日増しに寒くなって、日が短かくなりやす。ここ当分百姓は目が廻るように忙しくてね、はは。
春子 でも、この別荘のぐるりを、こんなに金吾さんが切り開いて、こうやってソバをまいたりして下すっているの、これまで何度も何度も目には入れていながら、ホントに見たのはこれがはじめてよ。ありがたいわ。これをどうすればおソバになるんですの?
金吾 はは、なあに、これをよく乾してね、それをたたいて、みでふるいわけてから、ついて殻をとってね、それを水車へ出して粉について貰いやあ、ソバ粉になりやす。シンソバというのはうまいもんでね、こんだ早速俺が打ってあげべえ。
春子 お百姓の仕事というものは、いいわねえ。
金吾 なあに、いいも悪いも毎年同じことであたり前すぎるようなこってやすから、馬鹿にでも出来やすんで。
春子 いえ、ウソがないから。私しみじみそう思うの、ホントに私、ボチボチでいいから金吾さんにお百姓の仕事習っていきたいわ。そうすればキットお父様も何処かで喜んで下さる。
金吾 はは。そりゃ、黒田先生は喜ばれやすよ。
春子 私、なんだかとてもいい気持。敏子もああして、あなたにすっかり馴染んでくれたし――ああそうそう、もうそろそろお昼だわ。御飯がかけっぱなし。(ソバ畑をソソクサと別荘の方へ歩きながら)金吾さん、じゃすぐお昼御飯にしますからね、お仕事はそれ位にして、手を洗ってちょうだい!
金吾 はい、はい。
春子 (別荘の表ドアを開けながら)敏ちゃんや、もうすぐお昼御飯だから遠くへ行くんじゃないのよ。
敏子 (こちらで)はあい!
金吾 敏子さま、えらいきれいな花があっただなあ。
敏子 おじちゃん、歌、うたって。
金吾 また歌か。おじちゃんは歌は、へえ、駄目だから。
敏子 駄目、うたってよ。盆のうた、うたってよ。
金吾 盆のうたか、しようねえなあ――じゃうたいやすよ。ヤーレー(敏子が小さい両手で手拍子をとる音)はは、ヤーレ、盆が来たのに、踊らぬ奴は木ぶつ、金ぶつ、石ぼとけ、ヤレ、ドッコイ、ドッコイ、ドッコイショ!
敏子 ヤレ、ドッコイ、ドッコイ、ドッコイチョ!
(手をたたいて)もう一度!
金吾 やれやれ、もう一度か、ヤーレ、盆が来たのに――(そこへ森の彼方から、おーいと呼ぶ男の声がかすかに聞える。しかし、それが耳に入らぬままに金吾は歌い続ける)踊らぬ奴は、木ぶつ、金ぶつ、石ぼとけ、ヤレ、ドッコイ、ドッコイ、ドッコイショ!(そのうたにかぶせて森の彼方から近づいてくる男の呼声が、おーいと近づく)
敏子 あら、誰か来たよ。
金吾 ……(すでにその時には彼も誰か来る音に気がついて、そちらを見る。林の中をふみしだきながら、畑のふちへ出て来る男二人の足音)
横田 (畑のフチに立停って、ニヤニヤと笑い出す)はは、へへへ、やっぱりここに来ていたね。おい君ィ!(と金吾に向って)なんとか言ったっけ、金――金助、いや金吾――さんだったっけか、暫くだったねえ。
金吾 ええと、あんたは――ああ、あん時の――横田さんでやしたね。その節はいろいろお世話になりやして。
横田 いやあ、ははは。あん時あ黒田君に頼まれて、ここの土地を売り払いに来ただけでね、別にお世話になったと言われても、へっへっへ、どうだいその後? (連れの男をふり返って)石川、それじゃな、お前は馬車の所に引返して、そう言っといてくれ。間もなく駅までまた戻るから、いっ時待っていてくれって。
石川 へい。だけど、社長だけで大丈夫ですかね。
横田 なあに、たかが女子供だ。お前は向うで待っててくれ。
石川 へい、そいじゃ(森の中を、もと来た方へ引返して行く)
横田 ははははは(畑を突っ切って別荘の方へ歩いて行きながら)金吾君、春子は別荘の中だろ?
金吾 え、春子?
横田 なんだ? はは、なる程、呼びすてにしたのがいけないかね、へっへへ、なる程君にとっちゃ変に聞えるかも知れんな。しかし、あれから七、八年たっているんだぜ。世の中は動いているよ。今じゃ、この私がセメント山の社長でね。黒田さんは引退しちゃって、今は何処に居るかな。春子が私のなにをしてるか、当人は言わなかったかね? この間からヒョイと居なくなったんで、えらい探して、へへへ、やっぱしここに来ていた。すまんが、君あいっ時見ないふりをしててくれ給え。
金吾 ……(石になって立っている)
敏子 (火がついたように叫びながら、別荘の中に駈け込む)お母あちゃま、お母あちゃま、こわいよう! お母ちゃま!
横田 はははは(足音をさせて別荘のドアの方へ)
春子 (その奥から出てきながら)え、どうしたの、敏ちゃん――? あっ!(呆然と横田と相対して立つ)
横田 はっははは、やっぱりここだったなあ。さあ春子、すぐ東京に帰るんだ。
春子 あの、そんな、そんなことおっしゃっても、もう私は――
横田 まあいい、まあいい。つまらないことを考えると、またろくなことはないぜ。まあまあ、こんな所で話もできない、中へ入ろう、おい(春子の胸をつくように、別荘の中に入って行き、ドアをバタンと閉じる)
金吾 あ、春子さま! ……(二、三歩思わず歩き出すが、立停って、そのドアの方をじっと見つめている。間……その閉ったドアの奥から、火がつくように敏子が泣き出した声が聞える。それをききな
前へ
次へ
全31ページ中16ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング