ノ内《うち》を持たせて、いつもそこに泊っていて、麻布の私たちの所には月に二三度、それもチョット立ち寄るだけで、この三、四か月あの人と私、落ちついて話したこともありませんの。内の生活費なども、もうズーッと渡してくれないので、困ってしまいましてね、もうしばらく前から、まだ残っていた私の着る物やなんぞを売り払って食べているようなありさまなの。それも、しかし、大かた無くなって、鶴やまでが自分の着物を売ったりしてくれているの。私がこんなにダラシがないばっかりにみんなに心配かけるんです。出入の御用聞なぞまで、あんまり永いこと払いがとどこうっているために、来なくなってしまって……(涙声のままで低く笑って)フフ、この間などもね、敦子さん、あなたが敏子に持って来て下さったウエイフアね、あれを――お夕飯の時に、ほかに食べるものが無いものだから、あれを御飯の代りに私と鶴やと敏子でおつゆと一緒に食べたのよ。そしたら、敏子は、もうドンドン御飯食べるでしょ、御飯が無いと我慢できないのね、ウエイフア投げ出してね、エイフア、ばっちい、エイフア、ばっちい、マンマちょうだい、マンマちょうだいって――
敦子 (こらえきれずになって、涙声で怒りだす)ちょ、ちょっと、もうよして! もうよしてよ春子さん! あなたと言う人は、まあ、なんてえ人なの! そうやって、ホントに――笑ったりして、それが、どうしておかしいの!
春子 いえ、おかしいわけじゃないんだけど、あんまり――
敦子 春子さんの馬鹿! あなた、ホントの馬鹿になってしまったんじゃないの? いくらなんでも、あんなまるで神さまみたいな敏ちゃんにまで、そんなイヂらしい思いをさせて、よくもまあ、あなたは平気でやってこれたのねえ?
春子 でも敏行が、寄り付かないんですから――
敦子 敏行さんは、あれはもう悪漢よ。話にゃならない。私の言うのは、あなたが、どうしてそんな事になるまでイケボンヤリと坐っていたのって言うの、食べるものが無いなんて――なぜ今まで私にだまっていたのよ? それを思うと、あなたが憎らしくなる。
春子 だって、これまでだって、敦子さんにはお世話になりすぎているんですもの。そうそう言えはしないじゃありませんか。……悪かったら、ごめんなさいね。それにもうすこし待ったら、もうすこし待ったらと言う気があったのね。いえ、敏行のこと。そりゃ、セメント山なぞに手を染めるようになってから、ずいぶんガラが悪くなったにゃ、なったけど、しかし根っからの悪い人じゃないのよ。パリ以来私にはズットやさしくしてくれたし、現在でもシンは私たちのことを思ってくれているの。ただ、あの人の周囲に、なんと言いますか、山師のような人が三人も四人も附いていて、そういう人からいいように操つられていると思うの。悪漢なんて、そんな、敦子さんのおっしゃるような人じゃ無いの。
敦子 ごらんなさい、あなたはいつもその調子だ。そんなひどい目に合っても目がさめない。いえ、そりゃね、誰にしたって御主人の事業の都合でどんな貧乏も我慢しなきゃならない時はあるわ。
私の言うのはその事じゃないの。パリで結婚式をあげてから三月もしたら、もう変な女の人と遊び歩いたり、あの人はしたそうじゃないの。そいで日本へ帰って来てからも、イザベルなんて人が追いかけて来て、ゴタゴタと附きまとうし、それがやっと片附いたと思ったら、もう芸者の人やなんかが二人も三人も出来ている。
全体、あなたのような、やさしい、美しい奥さんがあるのに、敏行さん、なにが不足なのよ?
春子 そんな事私にはわからないわ。でも私はこんな女で、なんにも面白い所が無いもんで、敏行すぐに怠屈するらしいのね。
敦子 そんな、そんな馬鹿な、あなたそいじゃ、まるで――
木戸 (それまで黙々として聞いていたのが、敦子をおさえて)まあまあ敦子、そんな、お前のように、そう一気にまくし立てても、しかたがないじゃないか。いや春子さん、私なぞにはどうも人さまの家庭内の事や、御主人の、その女出入のことなぞ、深いことはわかりませんけどね、ただ敦がしばらく前から、大分心配していましてね、御主人の山の事業と私の貿易とは性質がちがいますから、くわしい事はわからないけど、男が一つの事業にのりかかって夢中になって、そのために家屋敷まで叩き売ると言った気持は、わかるんです。問題は御主人のセメント会社が、先行き望みの持てるようなチャンとしたものかどうかですね。それさえしっかりしていれば今一時苦しいのは、こりゃ仕方のない事で。しかしどうも、その会社自体が少しおかしいと言う気がするんです。たしかその山は秩父の方でしたね。
春子 はあ。なんでも寄居から三峰の方へ入って行った所だそうで。
木戸 そいで、御主人に附きまとっている山師みたいな人と言うのは、何と言う――?
春子 私の知っているのは小笠原と言う人と、横田と言う人ですの。小笠原と言うのは、とても乱暴みたいな、豪傑肌と言いますか。横田と言う人は、極くおとなしそうな人ですけど。
木戸 小笠原と横田ね。
春子 敏行はその横田さんの方を信用しているようで、実は、現在も横田さんは主人に言いつかって、信州に行っている筈ですの。なんでも、会社創立の払込金の敏行の分がまだかなり残っているとかで、そのため先日から金をかき集めているんですけど。それに信州の土地家屋を売り払うために、横田さんに委任状を持たせて行かせたんですの。なんですか、その金が払い込めないと、刑事問題とかにもなりかねないとかで……
木戸 いや、私の心配するのも、そういうような点でしてね。そうか、とにかく、大至急なんとか手段を取るように考えてみましょう。
敦子 ちょっと待って春子さん、だって信州の別荘や土地は、あれはあなたの名儀になっているんじゃなくって?
春子 ええそうなの。でも、しかたが無いから、あたしの実印やなんかも持って行ってもらったわ。
敦子 いけない! それごらんなさい春子さん。あなたと言う人はホントにまあ! だってあれはあなたのお父さまのお心のこもっている土地で、たしかカラマツの苗畑もあったし、売り払ったりしては、いけないのじゃないの?
春子 ええ、だからなんとかしてあすこだけは父のために残して置きたいと、ホントに私、泣いて敏行に頼んだんですけど、どうしても、ほかに手段が無いと言うの。だから仕方なく――
敦子 それにあそこは柳沢の金吾さんに保管を頼んであるんでしょ? 金吾さんだから、それこそ大事にかけて守ってきたにちがいない――すると今ごろは金吾さんはその事で困っているんじゃないかしら? そう、キットそうだ! 可哀そうに金吾さん! まあ、あなたと言う人は、ホントになんと言う! それで、その土地を売って、どれ位の金をこしらえようと言うの? もっと早くその事を、どうして言ってくれなかったのよ! 全体、金高はどれくらいなの?
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音楽(唐突な、激しい、短ブリッジ)
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横田 (ねばりのある、しかし決定的な調子で)金高がいくらなのかと今更言われても、どうもしようが無いんだ。私もこうして黒田さんから一切をまかされて信州くんだりまでやって来て、こうして宿屋に泊りこんでまで事を片附けにかかっているんだから、話を急ぐんでねえ。要するに、買手は誰でもかまわない。百円が五十円でも高い方に売ろうと言うわけでね、もうこれ以上くどい話を伺っても無駄ですよ。
林 いや横田さん、お忙しいところをお手間をとらせてすみませんが、さっきも申し上げたように、そのパリで亡くなられた黒田先生とはカラマツの事で懇意にしていただきましてな。わしは郵便局をやっていながらズーッとカラマツの養殖については骨を折ってきてる人間でしてな、で、この柳沢金吾君はその黒田さんから畑や山林の管理をまかされて一生懸命でやってきた男で、この度、どういう御事情かわからないが、それが売りに出されて、他人の手に渡ると黒田先生に申しわけが無し、自分も身を切られるように辛い、と、私に泣きついてきたんで、まあ、わたしもこうして一緒につれそって来たようなわけでやして、どうかひとつ――
横田 林さん、そんな事を何度言われても、もう仕方がありません。海の口の轟という地主が別荘、山林、畑すっかりで六、〇〇〇円で買おうと値をつけているんだから、この柳沢君か、この人が三千や四千の金を並べてくれても、考える余地が無いわけでしてな。せめて同額の六千円出そうという事なら、考えて見てもよいが、私はもともと十円でも二十円でも高く売払ってきてくれと言われて来ているのだから、そういう事を言われても問題にはならないんだ。どうかもうお引取り下さい。
金吾 どうか、そこんところを、何とかお願い申しやす。いえ、今現金は三千円しか持って来てないが、残りの三千円は三月も待って下されば、何としてでも持って参りますから、どうぞ曲げて私にお売りやして! この通り、お願い申しやす!
横田 それがね、私個人としては待ってあげたくても、黒田さんの方ではその金額が明日にも入要なんでね。まあ、あきらめて下さい。そんなに買いたければ、その内に轟さんから買いもどすんですなあ。もっとも、あの人もなかなかの人らしいから、その時に値段は倍か三倍位つりあげるだろうがね。とにかくもう帰って下さい。私はこれから役場へ行って登記の書類をそろえなくちゃならんから、失礼。……(立ちあがって床の間の方へ行きカバンを開け閉めして外出の仕度をする気配)
林 ……どうも――柳沢君よ。失礼しよう。
金吾 (泣くように)ホントにお願い申しやすから……
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(返事なし。舌打ちをしながらガタピシ仕度をする横田)
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林 さあ金吾君。……失礼しやした。
金吾 へえ。……(二人が立上ってションボリ座敷を出て廊下を歩む)
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ザアと川の流れの音。道端の水車の音が、ギイ、ゴトン、ドサン、ザアと響いて、林と金吾が歩いて行く足音。
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林 ……仕方が無え、あきらめるんだなあ。
金吾 へえ。
男一 (手車を引いてギイ、ガラガラとやって来たのが)ああ林さん、あんたが、海尻に現われるのは珍らしいなあ。どちらへ?
林 やあこりゃ。ちょっと、そこの立花旅館だ。どうかな。この秋は?
男一 はい、先づ先づと言うとこで。ごめんなして。(ガラガラと遠ざかる)
林 ごめんなして。……(あとは二人が又黙々と歩いて行く)
金吾 ……林さん、俺あ辛いんでがす。あの別荘と山林と畑は何とか俺の手で守らねえと、黒田先生に対して申しわけがねえんでやす。身を切られるように、つらい。
林 そりゃ、よくわかるが……問題が金の事でなあ。それもいっとき余裕があれば、私の手でも何とかしてあげたいが、なにしろああ急いでいては仕ようが無い。どうもへえ……諦める他に無えなあ。……じゃ私あ、ちょくら寄って行く所があるから、ここで。
金吾 そうでやすか。どうも、とんだお手数をかけやして、いずれ又――
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角を曲って遠ざかる林の足音。
ションボリ歩く金吾の足音。ギイギイ、コトンと水車が近づき、それが遠ざかる。……川波の音。それが、フッと消える。
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喜助 (離れた所から寄って来ながら)よう、金吾、どうした?
金吾 おお喜助さん。
喜助 どうも、その顔色じゃ、話あうまく行かなかったな?(家の方を振り返って)おーい、お豊よ! 金吾が戻って来たぞう!
お豊 (クスンクスン言う赤子を抱きながら出て来る)あい。金吾さん、そいで話はどうだったかいな?
金吾 駄目でやした。直ぐにも六千積まねば、明日にも轟さんの方へ登記をすましちまう様子だ。
お豊 弱ったな。……まあま、おかけなして。
喜助 そうか。畜生め、金が仇たあ、この事だなあ、うむ。どうだ金吾、お前も男だ。その黒田さんの別荘も山林も、ここんとこで一度サッパリ諦めるわけには行かねえのか? そのうちに金え溜めて轟から買い戻せばええのだ。え、諦らめろ!
金吾 そう
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