驍ニ、あの黒田先生、なくなられたんで? へえ!
鶴 おしらせしなかったんですか?
金吾 へえ。いや……そうでやすか。
春子 ……悪るかったと思います。おしらせもしないで。でも、あの時分は、いろいろ取りこんでいて――それに外国のことだし――おさわがせしてもと思ったり、ツイね。……いえ私にしたって父がいなくなったって事、身にしみてそう思うのは、今日が初めてみたいなものよ。ほんと!(涙声の中から、わざと笑って見せるような明るい言い方で)……お父さま、春はもう赤ちゃん持ったりしてるけど、まだ小さい娘だわ。……(静かに泣く)
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遠くで馬のいななき。……しめやかに黙した人たちを乗せて馬車がギイギイ、パカパカシャンシャンと行く。
音楽(信州のテーマ)
近くで山鳩の声。
二人の足音が来て停る。
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金吾 ごらんの様に、こっちの三枚分だけがうまく行って、こうやって育ちやした。
春子 まあねえ。お父さまが、どこからか見ていて、喜んでいらっしゃるわ。
金吾 でも、向うの五枚はあの通り消えちゃったり苗の先が焼けたようになって、しくじっちまったんでやす。おらのやり方が行きとどかねえんで。
春子 そんな事はありません。カラ松の苗は金吾君にまかせて来たから安心だ安心だと、向うでも船の中でもお父さんおっしゃっていたの。ただ、しかしこれまで成功したことは一度も無いから、今度も多分ダメだろうと思う。それを金吾さんが自分のセイだと思いちがえて、すまながってでもいると気の毒だって、言い暮していらした。それがこうして三枚分も立派に育てて下さって――父に代って私からお礼申します。ありがとう金吾さん。
金吾 そ、そんな春子さま――わしは唯、黒田先生に言いつかった通りにやって来ただけでやして。現に、こっちの三枚は砂地が乾いているから、ヒデリの時は水をやるように、向うの五枚は流れに近いからあんまりやらんようにと言われていやして――ところが、夏の末ごろになって流れが涸れて来ると、地面の乾き具合が逆になってしまう。その証拠に、こっちの三枚の苗が妙に焼けが来たようになって、すこし葉落ちがはじまるんで。こいつは、水をくれてやるのアベコベにするのがホントでねえかしらなどと迷ったり、俺あアワを喰ったが、待て待て、先生のおっしゃった通りやらないかんと思って、その通りにつづけやした。したら、次の年の春になって見ると、向うはあの調子だが、こっちの分はしっかりした新芽がギッチリ出やした。やれやれと思ってね、黒田先生の研究と言いやすか、学問の力はえれえもんだと、そう思いやした。俺あ、なんにも理屈はわからねえ、ただ馬鹿の一つおぼえで、そん通りにやっただけでさ。
春子 ほんとにねえ。……今となっては、お父さんの残して行って下すったものの中で、この三枚の苗畑が一番しっかりしたと言うか……しっかりしたものだという気がするの。私なんぞ、お父さんの一人娘でいながら、フラフラと、いつまでたってもたより無い弱虫で、しょうがない! そうなの。イクジなし! 現に久しぶりにこゝに来ても、病気でもないのに、五日も六日も眠ってばかりいて、それが目的の此の畑を見に来るのが、今日まで延びちまったんですから。
金吾 そらあ、だけんど、向うでのお疲れやなんぞ、この、お疲れが一度に出たんでやしょう。
春子 そうかしら。とにかく、もう、溶けるように眠いのよ。もっとも、小屋はあの通り静かだし、敏子はこゝの所おとなしいし、それに夜になると金吾さんが、泊りに来て下さるから、安心するのね。当分私、東京へは帰らないで[#「帰らないで」は底本では「帰らなで」]、こゝで暮そうかしら?
金吾 そうでやすねえ。……ちょっと、この草んとこにお掛けやしたら。
春子 ……ありがとう。(かける)
金吾 ……御主人はなかなかおいでにならねえようで――?
春子 敏行? そうね、直ぐ追いかけて来るような事も言ってたけど、なにしろ、気の変りやすい人で。それに、フランスから帰ってから、セメント山の事業に手を出して、忙しがっているの。
金吾 セメント山でやすか。
春子 いえ、山と言っても極く小さい所らしいけど、それでもお金が随分かかるらしいのね。株式とかにするそうだけど、でも社長になるためには、金を集めなきゃならないとかでね、夢中なの。
金吾 だけんど、お一人じゃ御不自由でがしょうに?
春子 え? ああ敏行? ううん、私なぞ居ない方がかえってノウノウと飛びまわれて、いいんでしょ。
金吾 ……香川さんとおっしゃった方あ、その後お元気で[#「お元気で」は底本では「お先気で」]やしょうか?
春子 賢一さんね、ブラジルでコーヒー園をやっていらっしゃるそうだけど、私の方へはちっともお便りないの。敦子さんの方へは、たまあにハガキなど来るそうだけど。
金吾 そうでやすか。……敦子さまは、すると相変らずおたっしゃで?
春子 えゝ、結婚なさって、横浜にお住いなの。そりゃお仕合せでね。しかしまだお子さんが無くて敏子を可愛がって下さるの。一週間に一度ぐらい来て下すって――昔からのお姉さまで、いい方だわ。いまだに私はなんのかのと心配ばかりかけて――私って、ホントにしょうが無いのねえ。(何を思い出したか、ホロリと涙声になっている)
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山鳩の声が二つ三つ。
その声の中から出しぬけに男の声。
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敏行 おーい! 春子う! おーい!(呼びつゝ山の傾斜を駆けおりて来る。急速に近づく足音と声)ちっ、こんな所にいたのか、何をしているんだあ?
やあ金吾君、相変らず元気だね?
金吾 ああ、これは敏行さま、しばらくでがして――
春子 あなた、いつ、こっちへ、いらしたの?
敏行 やあ、はは! いつと言って、今さ、鶴やに聞いたら、この方角だと言うからね。
金吾 知らして下さりゃ、駅までお迎えにあがるんでしたのに。
敏行 いや、急にやって来たもんだからね。でも駅にちょうど人力があってね。二人引きを頼んだら早かった、はは。さ、小屋へ帰ろう。こんな所に突っ立っていてもつまらん。
金吾 フランスからお帰りになった御挨拶もまだ申し上げてなくて――お帰りなさいやし。
敏行 やあやあ。なにね。どうも忙しくって、はは、さあさ行こう。
春子 ねえあなた、ごらんなさいまし。これがそのカラマツの苗畑ですの、金吾さんが守って下さった――
敏行 え、なんだ?
春子 そら、お父さまが、よく言いなすってたじゃありませんの? 金吾さんが三四年もの間チャント世話を焼いて下さって、立派にこうして苗木が育っているの。ありがたくって私――
敏行 そうか。そりゃ大変だったろう。そいで、こいだけの苗木、いつになったら売り出せるの? 全体でどれ位の値になるんだい?
金吾 そうでやすねえ、まだこいで後二年位は見てやらねえと――そうでやす、わしはまだ値段のことなぞよく知らねえんで。
敏行 ええと、これ全体で何段歩位あるかな? 苗木を売つて、どれ位の利廻りになるんかな、地代に対してさ?
春子 だって、この畑はそんな意味でお父さんお買いになったんじゃないわ。カラマツを育てて見ようと言う、つまり研究のために――
敏行 わかっている。しかしもう既に時代は研究という時じゃないしね。第一、お父さん亡くなられたんだから、それもおしまいで。
――実はね春子、私の山の方の株式に大至急、どうしてもまとまった金が要るんでね、勿論長与の方の家庭なぞも一切合切金にした。しかし、それでも少し足りないんでなあ、ここの山林と、そうだあの小屋はちょっと買手は附くまいが――この畑なども一応金に変えたいと思って、急にこつちへ来たんだ。あんたも気持よく賛成してくれ。ここらの地価などどうせ大した事はあるまいが、どんなもんかねえ、金吾君?
金吾 そうでやすねえ。どうも私にゃ――
春子 それは、あなた、それは困るわ。お父さまのナニだし――そりゃ麻布の土地家屋をああして二重に抵当に入れたりなさるのは、まあ仕方がありませんけど、ここの山林や小屋や、この畑は、いけません。
敏行 はは、女にゃわからんよ。私の山が当れば――当るに決っているがね――ここらの山林なぞ千町歩だってソックリ買えるさ。まあまあまかせて置きなさい。
春子 いけません! それだけは、かんにんして! そいじゃ私、お父さまに申しわけが無いの、ねえ金吾さん!
敏行 そうか。……しかし、言っとくが、黒田家の現在の主人はこの私だ。私は私の好きなようにする。承知しといてほしい!
春子 そんな――事おっしゃったって――お願いですから。
敏行 (ガラリと調子を変えて、笑って)はは、まあいいて。心配しなさんな、はは、私も男だ。なあ金吾君!
金吾 はあ。……
敏行 さ行こう。そいで直ぐ一緒に東京に帰ろう。
春子 え、直ぐ帰るんですって?
敏行 ああ、その気で私は何の仕度もして来ないんだ。
春子 ですけど、それはしかし――だって麻布には、まだイザベルさんがいらっしゃるんでしょう?
敏行 又はじまった。こんな所で焼餅かね? イザベルはもう出したよ。大丈夫だ。
春子 いえ、そういう意味で言っているんじゃありません。あの方だって、はるばるフランスからあなたを慕って来た方なのに、そんな追い出すなんて――
敏行 お前はあの女を何だと思っているんだ? ありゃ、パリで食いつめて、そいで日本に金もうけにやってきただけの女だぜ。僕はただ、その道具になっただけさ。
春子 それでは、しかし、あんまり人情の無い――
敏行 だけどあんな女と一つ家にはいられないから、出してくれと頼んだのはお前だったんじゃないか? それをその通り、出したとなると又そういう事を言う――
春子 いえ、私の言うのはそんなんじゃ無いの。同じ女同志として、いくらなんでも、はるばるやって来た方をですね、出て行ってもらうにしてもそんなムゴイ事を――
敏行 まあま、その話は後でゆっくりしよう。それとも何かね。東京に帰るのは、どうしてもイヤかね? どうしてもいやならイヤで、私もそのつもりで――
春子 どうしてもイヤだなどとは言ってないじゃありませんか。
敏行 そいじゃ問題ない。まあま、心配しないで私にまかせて大船に乗った気でいるんだ。はっははは! ああ金吾君どうした?(振返って)金吾君! 一緒に君も帰ろう。
金吾 はあ、いえ……(離れた所をついて来る)
敏行 浮かない顔をするなあ。どうしたんだ? はっははは?
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山鳩の声
音楽
[#ここで字下げ終わり]
[#3字下げ]第8回[#「第8回」は中見出し]
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春子
敦子
木戸(次郎)
横田
金吾
喜助
お豊
林
男一
男二
音楽
[#ここで字下げ終わり]
春子 いえ敦子さん、みんな私が悪いの、あなたのおっしゃる事なぞ、昔からズーッと、聞こうとしなかった、この春子が悪いのですから、すべては自業自得ですの。
だのに困ったことのあるたんびに、あなたの所にやって来ちゃあなただけでなく、こうして木戸さんにまで御心配をかけるなんて虫が良過ぎると思うの。ごめんなさいね敦子さん、木戸さんも、どうぞかんにんして下さいね、だって、ほかに、行くところが無いんですもの。
父の親戚は、もうほとんど無いし、一二軒残っているのはみんな岡山の方にいるんだし、長与の方の親戚はみんな私の事なぞかまってくれないの。また、敏行がああして自動車をのりまわしたり、帝国ホテルで株式の創立総会を開いたり。
ハデな事ばかりしているのを見ていれば、誰にしたって、その蔭で私たちがこんなに困っているとは思わないでしょう。敦子さん、あなたにはこれまでホントの事を言わなかったけど、今日は言ってしまいます。父が私のために残してくれた財産は、もうスッカリ敏行のために使われてしまったの。麻布の家は幾重にも抵当に入っているし、渋谷の方の土地は売り払ってしまったし、それから株券だとか宝石や貴金属なども一つも残っていません。そしてあの人はああして新橋の方にその芸者の人
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