ナ歩き出したわ。
勝介 うん。もうよしてくれりゃ、いいにな。しかし良いお嬢さんだ。きれいだし、春なぞより、かしこそうだし。
春子 そうよ、私よりズーッと、おつむが良いの。
勝介 結婚はまだなさらない――?
春子 いえ、もうお相手はきまっているの。来年早早お式ですって。
勝介 すると今度春が戻って来れば、若奥さん同志が出合うわけか。まあまあ、ここで別れるのがお互いの娘時代に別れるわけか。泣けてくるのも無理はない。
春子 お父さまは、直ぐにそうやって人をからかう!
勝介 ははは、だが、敦子さんと言えば、あのイトコの、香川君――と言ったね、去年の夏、信州に一緒に来た――あれは、その後フッツり見えないが、どうしたろう?
春子 香川さんは、……去年の暮れに、ブラジルにお渡りになったんですって。
勝介 ブラジルとね。そう言えば、そんなことも言っていたようだったな。いや、それもいいだろう。若い者はそれぞれに思い切ってやって見ることだ。
春子 (クスクス笑って)信州の La《ら》 grande《ぐらんど》 main《まん》 お元気かしら?
勝介 グランド・マン? なんだ?
春子 大きな手。
勝介 ああ金吾君か。はは、いや、あれは又あれで立派だ、うむ。私がやりかけていたカラ松の苗床の世話いっさいを委せて来たが、あの男ならばチャーンとそいつをやりおうせてくれるだろうと安心できるから妙だ。どう言うのかね? どこと言ってチットも目立たない人間だが――
春子 でもあの人のことを思いだすと、なんだか私、すぐおかしくなるの。
勝介 ふふ。ああいう人間が、しかし、目立たない所でコッコツやっているから、この世の中は成り立っているかもわからんぞ、うむ。お父さんの山林の仕事なぞも、いくら勉強したとしてもパッと人目に立つことなんぞ先ず無い仕事でね、似たような事だね。森や林を人は見るが、それを植えた人間のことは思い出しもしない。おかしなものだ。今度の旅行も、春を敏行君に手渡すためか、その後でスイス寄りの森林地方へ視察に行くためか、わからんようなものでね。誰から頼まれたわけでもないのに御苦労さまなと思うこともある。
春子 だけど、私はお父さまのそういう所が大好き! えらいと思う!
勝介 はは、ただ己が娘の賞讚のみが、黒田勝介の勲章なんだなあ! はは! もっとも、もう己れが娘ではなくて、長与敏行夫人と言うべきかな?
春子 まあ、ひどい!
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「ジャーンと再び銅羅の音が鳴りひびく。」
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ボーイ (小走りに靴音をひびかして寄って来て)ええ、黒田様――でございましたね? 船室はスッカリ片づけをすませましたから、どうぞ。お紅茶は食堂にいたしましょうか、それとも船室の方へお持ちいたしましょうか?
勝介 やあ、ありがとう。そうさね、部屋の方へ貰おうか。
ボーイ 承知いたしました。では――(去る)
春子 あら、ハトバの人たちが、あんなに小さくなった。もう敦子さんも見えないわ。これでずいぶん早く、もう、走ってるのね?
勝介 部屋へ行こうかね。
船客女三 (フランス語)Adieu Japon !
船客男四 (フランス語)〔Laurence, tu pre' fe`res le chocolat, n'est ce pas ? Allons au salon.〕
春子 オールヴォア、横浜! アツコさま!
勝介 はは、さあ、こういう船旅が二十日あまりつづくわけだ。ごらん春、かもめがあんなに追って来る――
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(娘の腕を取ってデッキを歩き出す)
「ウォー、ウォーと吠えるような汽笛が鳴り出して、あたりの物音の全部を消してしまう。」
「その汽笛が鳴りやむのと同時に、それとはおよそそぐわない調子の三味線の爪びきの音がポツンポツンと鳴り出す。……その背後に(隣室)酔ってブツクサ言っている男女の声」
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喜助 「お豊を出せえ! お豊を出せったら!」
おしん 「まあそんな事云わねえで、飲みなんし」
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その他ハッキリは聞えない。
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お豊 (爪びきで低音で歌う米山甚句。三味線も歌もそれほどうまいとは云えない)溶けて、流れて、三島へ、くだる……
壮六 (酔っている。歌をひきとって)富士の白雪……(棒のように歌ってから、あとは、節をつけないでどなる)朝日で溶ける! ウソだい! 溶けるもんけえ! 溶けて流れて三島へ――なんぞくだるもんけえ。そったら事あ大嘘だらず、馬鹿にしさって!
お豊 (三味線をわきに置いて)まあまあ壮六さんよ、そんなに怒るもんじゃありませんよ。いつもあんなに機嫌の良い人が、今晩は、はなっから荒れっぱなしだなし。
壮六 へっへ、これが荒れずにいられるか。歌の文句
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