ねえ、あれはあれっきりになったが、僕あ、やっぱりなんだな、札幌あたりの大学の空気の中に何かしらん良く言えば詩的、ハッキリ言うと感傷的な気分があると思う。つまりトルストイとフエビアン主義を突きまぜたと言うかなあ、日本で言うと内村鑑三と安部磯雄を合せた式のさ。それが気に入らないんだ僕なぞは。社会主義なら社会主義で、もっと実際的な、たとえば片山潜や堺利彦なんかの行き方なら賛成するしないは別として、とにかく僕あわかるんだ。どんな綺麗なものでも夢のような感傷論じゃ問題にならないと思う。
香川 いやあ僕あ、そんな事言ってるんじゃないんだ。それに、札幌のうちの大学が全体として僕と同じような気分の学校と思われちゃ、大学が迷惑するよ。ただ僕は今の時代を見渡して見て、こんなように貧富の差が甚だしくなって、一部の特権者と富豪がぜいたくしている一方、そのギセイになって貧乏な階級が、あまりに多く、そしてあまりに苦しみ過ぎている。その現象を無視していてよいかと思うんだ。ただそう思うだけで、僕あ何も社会主義者じゃ無い。
敏行 社会主義者なら、まだいいと、だから僕あ言ってるんだ。感傷主義からは、なんにも生れてきやしない。なるほど、僕は法科で君は農政方面をやってるんだから、そう言う立場の違いもあると思うけどね、僕あ、やっぱり現代は力の時代だと思う。権力と金を握ったものが支配するんだし、していいと思うね。社会主義にしたってマルクスなんぞの理論など、やっぱし土台はそこに置いてあるから現実性があるんだ。
香川 それはそうかもしれない。しかしそれにしても人道主義が存在の価値を失ってはいないと思う。又永久に失う筈はない。僕が言うのは、本来平等に生みつけられた人間がだな、つまり、一例をあげると、君や僕はたまたま金持の家に生れたからこうして大学なんかに行っておれる。だのに多くの貧乏な家の子弟はだ――そう、たとえば、今の金吾君でもいい、あれで僕等と同じ年頃の青年だよ、それがただ貧しく生れついたと言うだけの理由でああして泥んこになって働らくだけで本一冊読めはしない。これは君、いかになんでもあんまり不公平すぎることを僕あ――
敏行 そんな事言ってたら、僕らは一足も歩けないし、一口も食えなくなるよ。愚だと思うな。僕はそんな事平然として、こうして二度と味わえない青春時代を楽しむね。それよりも、君が特にこんな所に来てまでだな、感傷的なお嬢さん方の前で、そ言った人道論を言い出している所に、僕あほほえましきものを感ずるね。
香川 すると何か、僕は心にも無い事を言っていると君は言うのか?
敏行 まあまあ怒りたまうな、ハハ。そこに僕は君の青春を感ずると言ってるんだ。いいじゃないか実に!
香川 そいつは君、あんまり失敬な――
春子 いいじゃありませんの香川さん! もういいわ。敏さんも少し変よ。いいじゃありませんか、そんなこと。もう帰らない? すっかり寒くなって来ちゃった。あら、敦子さんと金吾さん、どこへ行っちゃったかしら?
[#ここから3字下げ]
ザーッと風の音。水の音。
ギャアと鳥の鳴声。
金吾と敦子の足音がフッと停まる。
[#ここで字下げ終わり]
敦子 あら、みんなあそこで坐りこんでしまったのかしら?
金吾 そうでやすねえ。
敦子 おーい(遠くで微かにやまびこ)……聞こえないようね。もう帰りましょうか? どうせ、もうこんなに薄暗くなって来たんですもの、今日はこれ以上登れやしないんじゃなくって?
金吾 そうでやすねえ。
敦子 急に寒くなって来たわ。おりて行かない? それにね。(笑いを含んで)ああして春子さんが腰かけてしまえば、敏行さんも賢ちゃんも、それを置いてこっちに登って来たりはしないことよ。物凄いライバルだから、ほほ。
金吾 ……ライバル、でやすか。
敦子 そうなの。いえ、春さんはあの調子で無邪気一方なんだから、なんて事は無いのよ。その又、あどけ無い甘ったれ屋さんな所が若い男の人には魅力なのね。無理も無いわ、私が見たって可愛いいんですもの。麻布の春子さんのお家へは、お婿さん志願者が六人も七人も、それこそ入れ代り立ち代りつめかけてるのよ。その中から、ああしてこんな所までノコノコ附いて来る人たちですもの、敏行さんも賢ちゃんも、なかなか引きはしないわ、さ、もどりましょ。(草を踏む音をさせて坂をくだりはじめる)
金吾 へえ。……(これも歩み出す)
[#ここから3字下げ]
キイ、キイ、ギャッと鋭い鳥の声。
[#ここで字下げ終わり]
敦子 ああびっくりした! なんという鳥、今の?
金吾 ……はあ。
敦子 どうかなすって、金吾さん?
金吾 はあ、そうでやす。
敦子 まあ、フフ、ホホ……(しばらく黙って歩いてから)ねえ金吾さん、あんた、どうして泣いたんですの、去年の夏? なぜ泣いたの?
金吾 へ?
前へ
次へ
全78ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング