ちろん、八つが岳から鹿だとか、時によるとアナグマなどまで出て来たりした時分で、そういうへんぴな山の中に、いくらカラマツの植林の研究のためとは言いながら別荘を立てたりした黒田先生という方もあれで変りもんだったんでしょうな。なあに、見たとこは極く温厚な学者でしたよ。とにかく、よっぽどあの辺がお気に入ったらしい。もっとも、なんでも、その春子様というお嬢様を生んだお母さん、つまり先生の奥さんが急病で亡くなられた北海道の山の中があの野辺山の景色にソックリと言ってよいほど似ているそうで、そんなことから先生もあの土地が好きになられたとかで春子様も別荘を建てるならあの辺にしろとねだられた様子でした。……そいで最初からの引っかかりで、柳沢の金吾が別荘を建てる世話を全部やきましたが、それ以来ズーッと黒田様の山と別荘の管理をすっかり委されることになったのです。金吾は私とは同じ村の幼な友達ですが、もともと身寄の少い男で、親父というのが若い時分から山気の多い男だったそうで。金鉱探しに夢中になって家を留守にしちゃあちこちの山を飛び歩いていて、しまいには東北の山ん中で死ぬ。残された母親が金吾とその姉の二人姉弟を育てて来たんですが、苦労つづきで亡くなってしまった後は、金吾は姉の片づいた先の百姓家に引きとられて大きくなったような身分で。まあ、一日も早く一人立ちしなくちゃならんと言うんで十八九の時分から、あちこち雇われたり日よう取り稼いで金をためては、そいつでもって、どうせ高い土地は買えはしないつうので、まだ誰もつけない落窪のはずれの山を一段二段と買い込んでは開いていたのです。ちょうどその時までに五六段は自分の土地として、ボツボツとソバなんぞ蒔いていたんでやして、そこへ黒田さんの別荘が近くに建ってその世話をまかされる、同時に、黒田先生がだんだん金吾の人がらに打ち込んで来なすって、そんなわけなら小さいながら自分の家を建てたらどうだと言うので、別荘を建てた大工をまわしてやったり――いえ、金を出してもらったりはしなかったようです。金吾という男は、おとなしい人間じゃありますが、そういう、人がよくしてくれるのに甘えてわけの無い世話を受けたりすることはしない男でしてな、材木から何から、かかり一切は自分の力でやって、はじめは掘立小屋みたいな家をたてて、そこでとかく一戸をかまえた百姓で暮すようになったのです。……毎年夏になると別荘には黒田さん一家が来られます。金吾は口に出してはなんにも言いませんけれど、もう春ごろから、それを待っている様子でした。いよいよ夏が近づいて、これこれの日にそちらに行くと言うハガキが黒田さんから着きますと、金吾は馬車を仕立てて、駅の方へ迎へにくだるのです。黒田様のお嬢さんの春子様が最初お目にかかった時に、私の名前――川合壮六と言うのを可愛そうと言う名だと聞いちゃって大笑いした時から私のこともおぼえていられましてね、それを金吾も知っているもんで、そんな時はいつも私の方にも金吾は知らせてくれるんで。もっとも私は農事試験所の方が忙しいもんで、めったに野辺山までは行けませんでしたが。そうやって黒田様一家が一月二月と別荘で暮す間、金吾は自分の百姓仕事に忙しいのですが、何やかやと別荘の人たちのために引っぱり出されることも多いようでした……
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高原の林に遠く近く鳴きかわす山鳩の声。
ヂャブ、ヂャブ、ドブリと泥田をかきまわす音。
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勝介 (岩の多い小道を靴音とステッキの音をさせて近づいて来ながら)やあ、金吾君、精が出るねえ!
金吾 (泥田の中で水音をさせながら)これは、黒田先生いいあんべえでやす。
勝介 (立ちどまって見まわして)えらい所に水を引いたが何が出来るんかね?
金吾 へい。なんとかして水田にしたいと思いやして、去年からこうして――
勝介 ふむ、ここを水田にねえ? そりゃ、しかし、無理じゃないかな。
金吾 へえ、みんなそう言いやして、壮六などもしょせんそれは出来ねえ相談だからよせと言いやすけんど、とにかくやってみねえじゃわからねえと思いやして、まあ格好だけはつけてみやして。
勝介 でもここらは大体が赤土だろう?
金吾 はい、そんで、そいつを先ず何とかしようと、草をうんと踏んごみやして、壮六は三尺位は床土を仕込まねえじゃと言いますからわしは四尺仕込む気で、そいでまあ、色だけは大体こういうタンボべとみてえになりましたがさて、どんなもんでやすか。
勝介 (次第に釣込まれて熱心に)そうかね、そりゃ大変だ、どれどれ(と指に泥を附けてなめる)
金吾 (あわてて)そんな、この泥をなめたりなすっては、きたのうがす。
勝介 なあに、コヤシが入っとるかね?
金吾 コヤシは入れませんが、とんかく、当りでもしやすと。
勝介 なに、土とい
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