夏になると別荘には黒田さん一家が来られます。金吾は口に出してはなんにも言いませんけれど、もう春ごろから、それを待っている様子でした。いよいよ夏が近づいて、これこれの日にそちらに行くと言うハガキが黒田さんから着きますと、金吾は馬車を仕立てて、駅の方へ迎へにくだるのです。黒田様のお嬢さんの春子様が最初お目にかかった時に、私の名前――川合壮六と言うのを可愛そうと言う名だと聞いちゃって大笑いした時から私のこともおぼえていられましてね、それを金吾も知っているもんで、そんな時はいつも私の方にも金吾は知らせてくれるんで。もっとも私は農事試験所の方が忙しいもんで、めったに野辺山までは行けませんでしたが。そうやって黒田様一家が一月二月と別荘で暮す間、金吾は自分の百姓仕事に忙しいのですが、何やかやと別荘の人たちのために引っぱり出されることも多いようでした……

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高原の林に遠く近く鳴きかわす山鳩の声。
ヂャブ、ヂャブ、ドブリと泥田をかきまわす音。
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勝介 (岩の多い小道を靴音とステッキの音をさせて近づいて来ながら)やあ、金吾君、精が出るねえ!
金吾 (泥田の中で水音をさせながら)これは、黒田先生いいあんべえでやす。
勝介 (立ちどまって見まわして)えらい所に水を引いたが何が出来るんかね?
金吾 へい。なんとかして水田にしたいと思いやして、去年からこうして――
勝介 ふむ、ここを水田にねえ? そりゃ、しかし、無理じゃないかな。
金吾 へえ、みんなそう言いやして、壮六などもしょせんそれは出来ねえ相談だからよせと言いやすけんど、とにかくやってみねえじゃわからねえと思いやして、まあ格好だけはつけてみやして。
勝介 でもここらは大体が赤土だろう?
金吾 はい、そんで、そいつを先ず何とかしようと、草をうんと踏んごみやして、壮六は三尺位は床土を仕込まねえじゃと言いますからわしは四尺仕込む気で、そいでまあ、色だけは大体こういうタンボべとみてえになりましたがさて、どんなもんでやすか。
勝介 (次第に釣込まれて熱心に)そうかね、そりゃ大変だ、どれどれ(と指に泥を附けてなめる)
金吾 (あわてて)そんな、この泥をなめたりなすっては、きたのうがす。
勝介 なあに、コヤシが入っとるかね?
金吾 コヤシは入れませんが、とんかく、当りでもしやすと。
勝介 なに、土とい
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