[#ここから2字下げ]
「ここから下り坂を
どんどん下ると
この下がごしよでえらの村でよ
そこを通つて
下《しも》の方へどんどん行くと停車場だ」
「もう君の目は見えるのか?」
「まだ見えねえ
この下り坂はあぶねえからのし
いつもここまで來ると
こけえらにぶつ坐つて
夜の明けるのを待たあ」
[#ここで字下げ終わり]
捨吉は道ばたの石に腰をかけた
見おろすと
谷底の村には
二つ三つ七つと
あかりがまたたいて
はるか左手に
五つ六つかたまつたのは
鐡道の驛だろう
[#ここから2字下げ]
「小父さん
この崖のすぐ下のなあ
上手《かみて》のはずれに
灯がともつてるずら
見ろえ
あれが しの屋だ
もうおよねさが
起きたかな?」
[#ここで字下げ終わり]
見えない目で
のぞき込む視線を追つて
右手の方をのぞいて見ると
闇の中に小さく小さく
まずしい宿屋の臺所口が ひらけていて
メラメラと燃えているのは
かまどの火か
人間はすでに起き出して
生活を始めた
生きるとも
死ぬとも
思わぬ間に
火をもしてる
捨吉と並んで坐つて
その暗い谷底を 眺めながら
泣きたくもない俺の頬に
とめどもなく涙が流れ下る
俺はもう永久に
生きようとはしないだろう
死のうとしない如く
馬鹿な!
捨吉の目をのぞくと
パッチリと開いたままに
なにも見えない目が澄んで
しかし北の空の
うす白さを反射しながら
底の方から明るんできた
捨吉の笛は尾をひいて
谷間を渡る
谷間からは
それにもつれて
遠く遠くの人の聲が
ひびきのぼつてきた。
[#地付き](昭和三十三年三月)
底本:「三好十郎の仕事 第三巻」學藝書林
1968(昭和43)年9月30日第1刷発行
初出:「放送文化」日本放送協會
1958(昭和33)年5月号
入力:伊藤時也
校正:伊藤時也・及川 雅
2009年1月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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