立ち上つて
二三十歩を歩き
林のすその草原の中に
高さ五尺、廣さ一坪ばかりの
草屋根の合掌小屋が立つていて
その吹きさらしの屋根の下に
チョコンと坐つた人影が竹笛を吹き
鳴らしている
音程は三つ位しかない
ただ
野獸がすすり泣くような音を
遠くへ遠くへ吹きつらぬいて
吹く人だけが
それに耳を澄ましている
そのうちにヒョイと笛がやんで
小屋の中から
[#ここから2字下げ]
「なんじや?」
………………
「誰だあ?」
[#ここで字下げ終わり]
田舍の少年の聲だ
まだ聲變り前とみえて
少女のようなこわ音だ
俺はびつくりして
返事ができない
少年はさして氣にかける樣子もなく
再び笛を唇に運んで
吹き始める
俺は合掌小屋の中にこごみ入り
少年と並んで坐つた
少年は息のあるだけを吹きすましてから
笛をわきに置き
しばらく黙つていてから
[#ここから2字下げ]
「さぶいなあ」
「君は誰?」
「あん?」
「君はここで何をしてるんだ?」
「おらかや? おらあ笛吹いてる」
「その笛はどうしたんだ?」
「俺の笛だ 俺がこせえた」
「……君はなんと言うの?」
「俺は捨吉だ」
「捨吉……」
「おめえは誰だよ?」
「僕は――」
[#ここで字下げ終わり]
俺は答えることができないで
闇をすかして少年を見た
[#ここから2字下げ]
「おめえは東京の人ずら?
おらんちに時々泊るから
東京の人はわからあ」
「そうだよ東京だよ
君はこの邊の子?」
「おらあごしよ平《でえら》だ
ごしよでえらのしの屋だ
しの屋の風呂の釜たきだ」
「捨吉というのか?」
「そうだ」
[#ここで字下げ終わり]
少年はまた笛をとつて口にあてた
今度はいくらか低い調子だ
俺はうつけたように聞いていた
この世に生きて
していることとは
どうしても思えない

知らぬ間に笛が止んでいて
少年はガサガサといわしていてから
何か重い荷物を背中につけて
スッと立つて小屋を出た
[#ここから2字下げ]
「どこへ行くの君?」
「だつておめえ 行くずら?」
[#ここで字下げ終わり]
草の中をサヤサヤと歩き出した
無意識に俺も立上つて
その後から歩き出す
少年は背負梯子に
松の丸太のようなものを
二十本も背負つている
ギシギシと繩がきしむ
しかし當人は輕々と足を運ぶ
やせていて
背は俺より高いようだ
[#ここから2字下げ]
「君は、そのしの屋へ歸るの?」
「うん」
「しの屋というのは屋の[#「屋の」はママ]うちか?」
「うん 宿屋だ
おいら釜たきだ」
「だけど 君は
こんな夜中に
あんな小屋の中で
なにをしていたんだい?」
「きのう
丸太背負いにこの奧に來てよ
うつかりしていたら
日が暮れて
歩けなくなつたから
あしこであかしていたんだ」
「そのしの屋までは
そんなに遠いの?」
「なあに 一里かな
へえ すぐだ」
「一里位を歸らないで
あんな小屋で泊つて歸るの?」
「へえ 年中だかんなあ」
「そいで今ごろなぜ歸るんだ?」
「だつて小父さん
汽車に出るずら」
[#ここで字下げ終わり]
どうやらこの少年は
俺を鐡道の驛まで
案内してくれる氣であることが
わかつてきた
[#ここから2字下げ]
「あんな所に一人で寢て
君はこわくはないのか?」
「こわいとはあんだい?」
「この邊にはけだものなども
いやしないかね?」
「穴熊が三匹いらあ
そいから狐がいらあ
鹿もいる」
「君はいくつだい?」
「おらかよ? 十六ぐれえだ
よくわからねえ」
「自分の年がわからねえのか?」
「おら捨子でのし
年あ わからねえ」
「捨子?
そうか」
「平太郎さが俺を拾つてよ
もつて行く所がねえから
しの屋へ持つていつたらば
しの屋のばあさまがな
馬の子ならば賣れるからええが
人間の子供なんぞ拾つてきやがつて
ものを食うからおいねえ
さんざん怒つてな
捨吉という名をつけた
ハハハハ…………」
[#ここで字下げ終わり]
少女のような聲をあげて
輕く笑つた
[#ここから2字下げ]
「平太郎さが
まながしの馬市へ子馬買いに行つただい
まながしで酒くらつてな
醉つぱらうと氣がでかくならあ
子馬の金でばくちうつてよ
金をすつかりとられたげな
そんで歸りに
まながしの町はずれまで來たら
馬のクソのわきに
おらが捨ててあつてよ
ほつとけば
馬にふんずけられるから
しかたなく拾つて歸つた」
[#ここで字下げ終わり]
スタスタと歩きながら
ポツリと一こと言い
また一丁行つて
ポツリと一こと言う
[#ここから2字下げ]
「學校へは行かないのか?」
「學校なんず行かねえ
しの屋のばあさまはけちんぼでよ
食うものもちつとしかくれねえ
お客が泊つて食い殘しがあると
魚だの肉だのくれらあ」
「どんな人が泊るんだ?」
「この奧のダムの石屋だとか
農林小屋の人もたまに泊らあ
小父さん どけへ行くだ?」
「どこへ――?」
[#ここで字下げ終わり]
そうだ俺はどこへ行くのだ
[#ここから2字下げ]
「道に迷つたずら
この奧はズーッと十里も二十里も
山ばつかだ
しまいに越後に出らあ」
[#ここで字下げ終わり]
少年は言いすてて
やや歩をゆるめると
笛をふき始めた
その笛の音に導かれて
ヨロヨロと歩きながら
俺は次第に氣が遠くなる
いつのまにか
やや道らしい場所に出ていて
どこからか
からまつ林の匂いが流れる
笛はけものの聲のように
林をめぐり
波をうち
高原のかなたに消える
そうだ
この捨吉と俺と
人に忘れられた闇の中を
こうして歩いているのを
この世の人間という人間が
だれ一人知らない
人生の帳面の
欄外にかいてある姿だ
いや 神樣も
俺たち二人に氣がついていまい
外道だ
外道を俺と捨吉は歩く

ドシンといつて
不意に笛の音がやみ
捨吉がクスクスと笑つた
すかして見ると
顏をなでている
道のかたわらに立つた
タケカンバの幹に
捨吉が正面からぶつかつて
額をうつた
[#ここから2字下げ]
「どうした?
けがはしなかつたかね?」
「なあに――」
[#ここで字下げ終わり]
クスクスとまた笑つて
[#ここから2字下げ]
「コヤツにぶつかるのは
これで二度目だ
フフフ
おらあ 目が見えねえからな
うつかりしているとぶつからあ」
「え? 目が見えない?
目が見えないのか?
盲か君は?」
「盲だあねえよ
鳥目だ
夜になると へえ
見えなくならあ
でも朝になつてお日樣がでると
なんでも見えらあ」
「そいじや
今なんにも見えないんだね?」
「だから へえ
ぶちあたつた
フフフ」
「すると
さあつきから
僕の姿も見えないんだね?」
「見えねえよ」
「小さい時からそうなのか?」
「うん 榮養が惡いだと」
「そいで君はあの小屋で
目が見えるようになるまで
待つていたんだな?」
「うん」
「目が見えないのによく歩けるな」
「なれてるだから
平氣だい
うう 腹あへつた
ちつと急がず」
「そうか…………
…………………………」
[#ここで字下げ終わり]
なにか言つたらしい
しかし覺えていない
横づらをひつぱたかれるようにハッとした
目の見えない少年に案内されて
俺は歩いていたのだ

不意にからだの重みがなくなつて
ストンと俺は路上にころんだ
おかしなことがおきた
あたりの闇と自分と等質になつて
目や鼻がむやみと涼しい……
[#ここから2字下げ]
「どうした?
ころんだかよ?」
[#ここで字下げ終わり]
少年がふりかえつて
待つている
手を出して助け起そうとはしない
そのような暖かさは
この少年にはない
やがて俺は起き上つた
起き上つたのが
自分か少年か
または全く別の人か
俺にはわからない
少年はなんのこともなかつたように
スタスタと歩き出しながら
また笛を吹きだした
何がおきたのだろう?
歩いている自分が
自分を知つているくせに
俺という人間はコナゴナにこわれて
いなくなつた
俺は知つている
少年の吹く笛の音だけが
三つの音階をでたらめに上下して
そのふるえる音だけが
たしかに通つて行く

道幅が廣くなつたようだ
兩側はからまつの林になり
次第に夜明けが近づくのか
ボンヤリと道が白い

[#ここから2字下げ]
「小父さんは
しの屋に泊らんかよ?」
[#ここで字下げ終わり]
捨吉が笛をとめて
ヒョイと話しかける
その聲にびつくりして
俺はしばらく返事ができない
[#ここから2字下げ]
「君は父親も母親も
わからないのか?」
「わからねえよ」
[#ここで字下げ終わり]
笑い聲もたてないのに
少年が闇の中で
ニッコリしたのがわかる
[#ここから字下げ]
「ヘイブンブンとおんなじだ
しの屋のばさまが言つた」
「ヘイブンブンというのはなんだ?」
「小父さん ヘイブンブンを知らねえか?
夏になるとうちん中や
馬小屋なんぞに
ブンブン飛んでるずら
あやつのことだ」
[#ここで字下げ終わり]
蠅のことだ
少年は笑いもしないでまじめだ
[#ここから2字下げ]
「ヘイブンブンはな
馬のクソやなんずから
わくんだぞ
俺も 馬のクソかなんかからわいた」
[#ここで字下げ終わり]

わくと言つた
馬のクソから
ウジがわくように
人間がわいた
[#ここから2字下げ]
「そうやつて暮していて
誰がいちばん君を
可愛がつてくれるの?」
「誰が可愛がつてなんずくれねえよ
俺なんず可愛がつても
なんにもトクしねえからな
おなごしのおよねさんが
時々魚の殘りをくれるが
およねさんは
犬にも魚の骨をやるだからなあ」
「そいで君は父親や母親に
あいたくなることはないのかね?」
[#ここで字下げ終わり]
「ケ ケ ケ!」
と猿のように笑つた
[#ここから2字下げ]
「一度なあ
みつけてやるべえと思つて
驛の所に立つていたら
男の人や女の人が
いつぺえ通つてよ
そん中に
父ちやんや母ちやんが
いるような氣もするし
いねえような氣もするし
おんなじようなことだと思つて
さがすのはやめた」
[#ここで字下げ終わり]
ヒョイと氣がつくと
俺の兩頬がつめたい
いつのまにか涙が流れている
俺はポケットから
ウイスキーのびんをとり出して
一息に中味をあおつた
火のようなものが
ノドを通つた
俺はそのびんを
暗いからまつ林の中へ
ビューッと投げた
びんは遠くで、からまつの幹にあたり
ピシリとくだけて散つた
[#ここから2字下げ]
「なんだや今の音は?
なんかほうつたのか?」
「なんでもない」
[#ここで字下げ終わり]
言いながら左手の指は
ポケットの中の
藥のびんをまさぐつていた
急におかしくなつて
俺は聲をあげて
クスクスと笑い出した
腹の底からのおかしさが
こみ上つてくる

氣がついてみたら
俺の中から
死のうという氣が
まるでなくなつていた
そして もう一生 そんな氣が
俺にはおきないだろう
どうしてだかわからないが
それがハッキリわかつた
[#ここから2字下げ]
「小父さん
何がおかしいだい?」
「おかしくはないよ」
「せば なんで笑うだ?」
「笑いやしない」
「ウソをつけ
ほら 笑つてら」
[#ここで字下げ終わり]
おさえてもおさえても
俺の笑いはとまらない
なにか泥醉したように
俺の兩足は歩きながら
互いにもつれてヒョコヒョコする
[#ここから2字下げ]
「ヘイブンブンが
馬のクソに醉つぱらつた!」
[#ここで字下げ終わり]
ヨタヨタと音をたてる
俺の足音に
耳をすますようにしていた捨吉が
やがて
クスクスと笑い始め
アハハハと
夜空を仰いで聲をたててから
再び二人とも歩きだす
鳴り始めた捨吉の笛の音色が
ヒョイと變つたと思つたら
道はだしぬけに林を拔けて
高原のはじの崖の上に出ていた
空はうす明るくなつている
足だけが踊るようにしながら
捨吉が笛を吹き行く後から
崖道に出る
二匹の蠅が
笛の音に合わせて
手をすり
足をすつて現われた
夜明け前の冷たい空氣が
深い谷あいに開けて
はるかな向うの山脈の上は
すでにいくらか白みかけた
見おろすと
谷あいはまだ暗い
[#ここから2字下げ]
「さあついた」
[#ここで字下げ終わり]
捨吉は立ち止つた

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