自分と等質になつて
目や鼻がむやみと涼しい……
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「どうした?
ころんだかよ?」
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少年がふりかえつて
待つている
手を出して助け起そうとはしない
そのような暖かさは
この少年にはない
やがて俺は起き上つた
起き上つたのが
自分か少年か
または全く別の人か
俺にはわからない
少年はなんのこともなかつたように
スタスタと歩き出しながら
また笛を吹きだした
何がおきたのだろう?
歩いている自分が
自分を知つているくせに
俺という人間はコナゴナにこわれて
いなくなつた
俺は知つている
少年の吹く笛の音だけが
三つの音階をでたらめに上下して
そのふるえる音だけが
たしかに通つて行く

道幅が廣くなつたようだ
兩側はからまつの林になり
次第に夜明けが近づくのか
ボンヤリと道が白い

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「小父さんは
しの屋に泊らんかよ?」
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捨吉が笛をとめて
ヒョイと話しかける
その聲にびつくりして
俺はしばらく返事ができない
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「君は父親も母親も
わからないのか?」
「わからねえよ」
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笑い聲もたてないのに
少年が闇の中で
ニッコリしたのがわかる
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「ヘイブンブンとおんなじだ
しの屋のばさまが言つた」
「ヘイブンブンというのはなんだ?」
「小父さん ヘイブンブンを知らねえか?
夏になるとうちん中や
馬小屋なんぞに
ブンブン飛んでるずら
あやつのことだ」
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蠅のことだ
少年は笑いもしないでまじめだ
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「ヘイブンブンはな
馬のクソやなんずから
わくんだぞ
俺も 馬のクソかなんかからわいた」
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わくと言つた
馬のクソから
ウジがわくように
人間がわいた
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「そうやつて暮していて
誰がいちばん君を
可愛がつてくれるの?」
「誰が可愛がつてなんずくれねえよ
俺なんず可愛がつても
なんにもトクしねえからな
おなごしのおよねさんが
時々魚の殘りをくれるが
およねさんは
犬にも魚の骨をやるだからなあ」
「そいで君は父親や母親に
あいたくなることはないのかね?」
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「ケ ケ ケ!」
と猿のように笑つた
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「一度なあ
みつけてやるべえと思つて
驛の所に立つていたら
男の人や女の人が
いつぺえ通つてよ
そん中に
父ちやんや母ちやんが
いるような氣もするし
いねえような氣もするし
おんなじようなことだと思つて
さがすのはやめた」
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ヒョイと氣がつくと
俺の兩頬がつめたい
いつのまにか涙が流れている
俺はポケットから
ウイスキーのびんをとり出して
一息に中味をあおつた
火のようなものが
ノドを通つた
俺はそのびんを
暗いからまつ林の中へ
ビューッと投げた
びんは遠くで、からまつの幹にあたり
ピシリとくだけて散つた
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「なんだや今の音は?
なんかほうつたのか?」
「なんでもない」
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言いながら左手の指は
ポケットの中の
藥のびんをまさぐつていた
急におかしくなつて
俺は聲をあげて
クスクスと笑い出した
腹の底からのおかしさが
こみ上つてくる

氣がついてみたら
俺の中から
死のうという氣が
まるでなくなつていた
そして もう一生 そんな氣が
俺にはおきないだろう
どうしてだかわからないが
それがハッキリわかつた
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「小父さん
何がおかしいだい?」
「おかしくはないよ」
「せば なんで笑うだ?」
「笑いやしない」
「ウソをつけ
ほら 笑つてら」
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おさえてもおさえても
俺の笑いはとまらない
なにか泥醉したように
俺の兩足は歩きながら
互いにもつれてヒョコヒョコする
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「ヘイブンブンが
馬のクソに醉つぱらつた!」
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ヨタヨタと音をたてる
俺の足音に
耳をすますようにしていた捨吉が
やがて
クスクスと笑い始め
アハハハと
夜空を仰いで聲をたててから
再び二人とも歩きだす
鳴り始めた捨吉の笛の音色が
ヒョイと變つたと思つたら
道はだしぬけに林を拔けて
高原のはじの崖の上に出ていた
空はうす明るくなつている
足だけが踊るようにしながら
捨吉が笛を吹き行く後から
崖道に出る
二匹の蠅が
笛の音に合わせて
手をすり
足をすつて現われた
夜明け前の冷たい空氣が
深い谷あいに開けて
はるかな向うの山脈の上は
すでにいくらか白みかけた
見おろすと
谷あいはまだ暗い
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「さあついた」
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捨吉は立ち止つた

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