ごろになると
ハラハラして頭が痛くなりますよ」
「だってお母さん
市へ出かけるのは、もうあと十分近くありますよ」
「いえ、お前のことじゃありません
あれごらん、お父さんはあの調子だし
それでお隣りの木魚の音が
やっと聞えなくなったと思うと
婆やさんが、あの声でああだろう
あれではお父さんにもつつ抜けだよ
少し遠慮してくれるといいけどねえ」
「でもしかたが無いでしょう
お婆さんはなんと言ったって
オシャベリはよさないし
それに臭いは
お婆さんの言う通りですからね」
「そらそら、またお前までがそんなことを言う、それはね、どんなに臭くても
花造りのコヤシいじりは内の家業ですからね」
「しかしタメをかきまわすのは昼すぎだってできるんだ
朝っぱらからする必要はないですよ
お父さんのは隣りの木魚が鳴り出すとたちまち始まるんだ
まるきりシッペ返しみたいだからな」
「おおい、昇! そんなところで何をぐずぐずしているんだあ?」
となりの小父さんがタメのところからどなります
「そらそら昇、急がないと!」
「花は自転車につけたぞう!
早く行かないと花が可哀そうだぞ!」
「はあーい!」と昇さんは答えてかけ出します

     5

このように内のお父さんと
隣りの小父さんの、睨み合いは
すこしずつ、すこしずつひどくなりながら
毎朝のようにくりかえされるのです
そして竹藪の梢が
新芽どきとはまたちがった黄色をおびた緑色を濃くして
ルリ色のそらにきざみ込まれたまま
ゆれるともなくゆれながら
小さい町に音もなく
一日一日と冬が過ぎて行きます

翌日の朝はその時間になっても
いくら待っても昇さんが来ない
もしかすると小父さんの代りに
農園の用事で東京へ行ったかもしれない
しかしそれならそのように
たいがい前に言ってくれるはずなのに
この日はなんにも言ってくれなかった
それでもホノボノとした静かな朝で
お父さんの朝のおつとめも始まらない
――と私は思っていたのです
なんと悲しいことでしょう
人間というものが
なんでもかでも知っているように思ったりどんなことでも考えることができると思ってる
そういう人間のゴーマンさがですの
ホントはたかが二つの目と耳としか持たず
たかがフットボールぐらいの大きさの頭を持っているきりで
見ることも聞くことも考えることも
お猿さんといくらもちがわないのにね
いいえ、人間というものがと言うとまちがいです
この私がです!
この私が椅子に寝て、小さな町に音もなく
冬の朝のおだやかな光がみちみちて
青空にはめこんだ竹の梢を眺めている間に
お隣りとの垣根をはさんで
内のお父さんと隣りの小父さんとの
大喧嘩がはじまっていたのです!
そうです大喧嘩です
今にも斬り合いがはじまるかと思った――
昇さんが私にそう言いました
「なに、僕も夜になってから母から聞いて知ったんだ
母の話では、昨日の朝は天気は良し
まだ木魚の音もきこえないので
ノンビリした気持で
父と母は
垣根のそばの苗木の世話をしていたそうだ
垣根のこちらではお花婆さんが
無縁墓の大掃除をはじめたらしい
ホウキで木の葉をはき出したり
鎌で草の根っこを掘り出したりしながら
例のデンで高っ調子のひとりごと
それも墓石を相手に念仏からお経の文句
無縁ぼとけの故事来歴をしゃべりちらしているうちはよかったが
やがて、今に臭い臭い匂いがして来るから
がまんしにくかろうが、がまんしろの
お金をもうけるためには
あんな匂いをさせて業《ごう》を重ねなくてはならないのと
遠慮もえしゃくもない高声だから
垣根ごしに父も母にもつつぬけに聞えるんだ
母は今にも父が怒り出しはしないかと
ハラハラしながら横目で父を見ると
父はお花婆さんの口の悪いには馴れているし
腹には毒のないことも知っているが
さすがにおもしろくは無いと見えて
舌打ちをしてコエだめの方へ行って
コエをかきまわしはじめたと言うんだ
そらそらそら! ほとけさんたちよ
業の匂いがはじまりましたよ
鼻がもげぬように用心するこった!
お花婆さんが声をはりあげる
あんまりだと思って母が垣根の方をヒョイと見ると
思いがけない、君のお父さんが真青な額に青筋を立てて
垣根の方からヌッと首を出して
内の父の方を睨んでいる!
びっくりしてよく見ると
ブルブルふるえる右手に、鎌を握りしめている!
その形相が凄いんだよ!」

「いいえ、あなた、御院主さんは
あんまり天気が良いものですから
その朝はおつとめの前に御自分もお墓の掃除の加勢をしようとおっしゃっていましてね
わたしの後からお墓へおでましになって
わたしから鎌を受取って
草の根なんぞを掘り起していなすったんですよ
そこへあなた、お隣りさんが、人の鼻の先きで
あの腐った匂いをいきなりはじめたんですからね
誰にしたって腹も
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