それがどうして工業学校などに行くの」
「人間は夢を見る動物なり」
「だから人間は夢を見る動物なり
あたしだって、こいで人間の内よ」
「あっはは!」
「ほほほ!」
3
昇さんが笑う時には眼を糸にして
鼻の穴を上へ向け、ノドの奥まで見せて
ワッハ、ハと、それは良い声をあげるのです
二人が笑っていると
ズッと聞えて来ていた本堂の木魚の音が
急に大きくなったと思うと、
ガーン・ガーンと鐘が鳴り出した
「あっ、いけねえ、小父さんが怒りだした!」
と昇さんと私は顔を見合せて、二人で耳をすませながら
鼻の穴を開いて
臭いをかいでいるのです
「ほらね、やっぱりだ」
朝のそよ風に乗って
腐ったような、えぐいような、ねばりつくような
いやないやな臭いが流れて来る
昇さんはゲッソリした顔をして
「おやじも、いいかげんにしてくれるといいけどね」
「どうして、しかし小父さんは
そんなに木魚の音が嫌いなのかしら?」
「木魚の音などに関係ないと言うんだ
花作りが一日に一度肥料の加減をしらべるのは
くらしのつとめだからと言うけどね
それは口実さ
朝っぱらからコヤシだめをあんなに掻きまわして
こんなにひどい臭いをさせなくても
肥料のかげんは調べられるさ
そうじゃないさ、おやじは
小父さんの木魚の音がすると
ムカムカとガマンができなくなるんだ
あんだけほかのことでは静かな人間が
どうしてあんなに気ちがいじみてしまうんだろ?」
「ホントにそうよ
内のお父さんだって、ほかのことでは
そんなにわからない人では無いのよ
それがお宅のこととなると
どうしてあんなに直ぐにカッとなるんでしょ?
オトナはみんな頭がおかしいんじゃないかしら?」
「そうだね、とにかく馬鹿だ、みんな」
昇さんがそう言った時に廊下に足音がして
「なにが馬鹿だね?」と言いながら
私の父がふすまを開けて入って来ました
声の調子は機嫌良さそうに作っていますが
腹を立てているのは
額口に青筋を立てているのでわかります
「今日は。小父さんお早うございます」
「お早う。いつも光子のお見舞いで、すまんね」
「お父さん、この花、いただいたのよ」
「そうかね、それはどうも――」
と言ったきり、私の膝の上のダリヤを父はギロギロと睨んでいます
「じゃ僕は市場へ行くから、これで――」
「お父さん、それから、この本も昇さんがわざわざ買って来てくだすったのよ」
昇さんはバツが悪くなってぴょこんと一つおじぎをして竹藪の方へ立ち去って行きます
「どうしたの、お父さん?」
「うむ、昇君は親切な良い青年だ」
父はそう言って、水仙の花を睨んでいるのです
4
その昇さんは私のところを離れると
本堂の裏を墓地の方へ曲ります
するといきなり花婆やのブツブツ声が聞こえます
「そうでございますよ
みんなみんな、おしまいになるのですからね
ナムアミダブツ、ナムアミダブツ
みんなみんな、大々名から
こじきのハジに至るまで
こんりんざい、間ちがいなし!
地面を打つツチに、よしやはずれがありましても
こればっかりは、はずれようはございませんて!
百人が千人、一人のこらず
おしまいは必らず、こうなるのですからね!
生きている時こそ、なんのなにがしと
名前が有ったり金が有ったり慾が有ったりしますけれど
ごらんなさいまし!
こうなるとコケの生えた石ころやら
くさりかけた棒ぐらいですわ
ナムアミダブツ、ナムアミダブツ
ちっとばかり生きていると思って
慾をかいて、汗をかいて
くさい臭いをプンプンさせても
無駄なことではございますまいかの」
花婆やはカナつんぼのくせに
おそろしいおしゃべりで
しかもひとりごとの大家です
そこら中につつぬけに響く大声でしゃべりながら
墓地と垣根にはさまれた
細長い無縁墓地に並んだ
無縁ぼとけの墓の間を
毎朝の日課の、ほうきで掃きながら
昇さんが近くを通るのにも気もつきませんが
垣根の向うの花畑の方で
かきまわされるコヤシの
音はまるきり聞こえなくても
鼻はつんぼでないものだから
ムカムカするほど、かげるからです
花婆やは、それはそれは人の良い
念仏きちがいの婆やですけど
内の父の気持が伝染して
コヤシの臭いを憎んでいるのです
いえ、正直いちずの人の好い人間の常で
当の父よりも伝染した方の婆やの方が
憎む気持がいちずです
ははは、お婆さん今日もやってるなと
にが笑いしながら垣根の切れ目から
ソッと自分の内の農園の方に抜け出ると
お父さんは案の通り向うのコヤシだめで
怒った顔をしてかきまわしていて
ズッとこっちの垣根のそばでは
昇さんのお母さんの、おばさんが
苦労性の青い顔で
「昇や、急いでおくれ
お父さんは、もう花を自転車に積みおえなすったから
お前、ボヤボヤしていると叱られるよ
あああ、ホントに私は毎朝いま
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