ノンキな俺でもちったあ考えらあ。
三好 …………。
お袖 この間お目にかかった時も、大奥様は泣いていらっしゃいました。
堀井 おふくろは、なんかと言やあ、直ぐ泣く。豪勢にやっていた昔を思い出すんだ。しかし、俺は違う。俺が情けないのは、そんな事じゃ無いんだ。
お袖 いえ、それは……大奥様も邦男に今更親孝行の真似なぞして貰いたいとは思わないと口癖におっしゃっていますけど――。
堀井 違う。俺あ親孝行だよ。家を無くしても財産を無くしても、親孝行な人間だと思っている。……俺の言うなあ、そんな事じゃ無いんだ。これで、診療所さえチャンとやって行けて、江東辺の人のためになることなら、俺あそのためなら、おふくろなざあ、すまんけど洗濯婆さんにでもなって働きに行って貰う。だけど、問題は、その診療所さ。いくら、あの辺の貧乏な連中を僅かな実費で診てやっても、さて、そいつが人のためになるかだ。ホントの意味でだなあ。それさ。この一二年、考える事あ、その点だ。そうなると、もう、まるでお先き真暗だからなあ。
三好 ……ふん。
堀井 ……テーベーの患者が来る。そいつを一所懸命診てやって、病勢を喰いとめてやる。半年か一年する、必らずそいつが、以前よりも悪くなって、転げ込んで来る。もう、どうしようにも手遅れだ。直ぐ参ってしまう。失敬だが、君の奥さんだってその一例だったと言やあ言える。……花柳病のクランケが来る。手当てをしてやって、チョット良い。暫くすると又来る。前よりもキットひどくなっている。……二人や三人じゃ無いもんなあ。なぜ二度と病気にならんようにしないんだと叱り飛ばしてやっても、メソメソしたり、ペコペコしたり、中にはセセラ笑ってる奴もいる。……そうだろうさ、なぜと〔言って〕俺から言われたって、どうにもならんのだ。あの連中にも、俺にも、どうにもならん原因から、あの連中の身体あ冒されて、死んじまう。……するてえと、診療所で俺のしてる事あ、物事をただ一寸のばしにしているきりだ。だろう、三好君?
三好 俺にゃ、よくわからん?
堀井 わからん? ふむ。……そりゃね、社会施設をもっと完備させろ、働らく人間がもっと安心して働いて行けるような組織……そいつをもっとチャンとしてくれと言ったようなことに、俺の考えはなるかも知れん。勿論、それもある。それが第一かも知れん。しかし、それで全部キレイに片附くか? 片附かんような気がする。まだ、これで、政治や経済の組織に一切合切をかづけて、それで以て割切っていれば、どうなるならんは別問題として、落着いてだけは居れるだろうがね。君なんか、そうだろう?
三好 違いますね。
堀井 だって君あ、以前マルキシズムをやってた事があるんだろ?
三好 少しかじっただけで、なんにもわかっちゃいないんですよ。
堀井 そうかねえ。
三好 わからん。……ぶっつかって見る以外に手は無いんだ。とにかく。正《しょう》の物にぶっつかって、アッと思ったトタンに、自分がどんな音《ね》をあげるかです。丁と出るか半と出るか、そいつが掛け値なしの自分です。よしんば醜態をさらしても、もうこれ、致し方なし。……近頃、すべてそれでやっているんですよ。
堀井 ハハハ、丁と出たか。……いや、君の言う通りかも知れん。正の物にぶっつかるか、……それさ、結局僕がこんだ行くのもそれだね。戦争に掛け値は無い。これでよしと思った瞬間に敵弾に当って死んでもよしね。……帰って来れたとしても、もしかすると、そん時は僕はもう医者では無くなっているかも知れんな。少くともこれまでの様な人道主義者では無くなっていたいよ。力と言うものを持たぬヘロヘロの善意なんてもの、何の役にも立たん。物事をこぐらからせるだけだ。業《ごう》を引きのばすだけだもんなあ。おふくろに言わせるとさ。業だ。言って見りゃ対症療法だね。必要なのはオペラチオンだ。
三好 ……だけど、先生が、今迄なすって来た事をそんな風にばかり考えていらっしゃるんだったら、僕あ反対だな。
堀井 だって、そうだもの。(何か言おうとして口をモガモガさせている相手に)まあ、いいよ。とにかくセンチかも知れんが、そんな気がするから、僕あ行く。
三好 …………わかります。
堀井 ひょっとすると、もう会えんかも知れんね。
三好 来月の五日でしたか?
堀井 (うなずいて[#「うなずいて」は底本では「うなづいて」]見せてから、ニヤニヤして)だいぶまだ間は有るけど、なんしろ、これだ。君も、いよいよ此処に居れなくなると困るだろうが――。
三好 困りゃ[#「困りゃ」は底本では「困りや」]しません。なんにも持ってない人間から、誰が何を取り上げる事が出来ます? 先生こそ身体に気を附けて、どうか――。
堀井 ありがとう。……そうそう身体と言やあ、痔の方はその後どうだい?
三好 大した事あ無い、ま
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