skin−game であるらしいことが、われわれに見える。過ぎ去った大戦から受けたキズの治療だけに、われわれはキリキリ舞いをすることはできない。いや、足りない。それにキリキリ舞いをしながら、同時的に、更に大がかりの skin−game である今後のパースペクティヴの中へ踏み込んで行く足ごしらえをしなくてはならないのだ。
 すなわち、われわれは完全に動テンしながら、同時に、静かでなければならない。火と燃え立ちながら、鉄のように冷たくあることが要求されている。最も兇暴な野獣のように本能的でありつつ、最も理知的な科学者のように科学的でなければならなくなって来ているのである。――その事を世界中のインテリゲンチャたちは、多かれ少なかれ感じている。われわれが、第一次大戦の戦後派のような形を取り得ず、かつ、取らない方がよい理由は、そこにある。
 日本の戦後派の人たちの作品や、人間や生活の中に、一種の静けさがあるのは、その事と関係のあることだ。私もそれを見のがしてはいないつもりだ。そして、それはそれでよい、そうなければならぬ事だと思う。われわれは、今後のパースペクティヴへ向って用意しなければならぬ歴史的な人類的な義務と名誉を背負わされているのだから、それへの足ごしらえをするためには、騒いでばかりはいない方がよい。
 しかし、そのための静けさと、「日本製」似而非的ニヒリズム化から起きた静けさ――つまりキンヌキ馬の静けさ――とを混同してはならない。
 戦後派の諸氏の大半が、これを混同――と言うよりも――スリカエようとしているように私には見える。どうぞして、スリカエてほしく無い。そのためになら、諸君が、どんな苦しい努力でもしてみる価値のあることだと、これを私は思う。
 これについて、大ゲサな言葉使いで、まだいくらでもオシャベリをすることは、できるが、しかし、もう、やめよう。ただ最後に、これらの諸氏に立ち直ってほしいと思う私の心からの願望を託する言葉として、妙なことを一語だけ添える。それは、以上私の語ったこととは、縁もゆかりも無い言葉のように見えるであろうが、実は、諸氏が立ち直るための諸条件を一点に要約した言葉であると私は思う。それをわかってほしい。今、諸君にわからなければ、三年か五年かたってから、わかるであろう。もっとも、その時には、手おくれになっているかも知れぬ。こんな言いかたをする私をゴウマンだと言って笑う奴があったら、笑え。仲間が、ヘンなものを食おうとしているのを「おいおい、それは食わん方がいいよ」と気をつけてやる事が、それほどゴウマンな事ならばだ。
 その一語というのは、
「文壇」から絶て、ということだ。
 解説はいらぬ。文字通りの意味である。諸君が戦場に立っていた時のように。諸君が第一作を書いていた時のように。「文壇」から絶て。
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ブルジョア気質の左翼作家


          1

 こんどは左翼的な作家の二、三人について語るつもりだが、それには、まず宮本百合子のことを、ぬかすわけにはゆくまい。ところで、なによりも先きに言っておかなければならぬ事がある。それを言わないままで話を進めることは、宮本に対して不公平であるように思う。
 それは、宮本百合子を私が、きらいであるという事だ。彼女の処女作以来、現在にいたるまで、一貫してこの作家を好かぬ。これは私において決定的なことだ。そして、もちろん、或るものに対する好悪の感情を、そのものに対する評価や批判の中に混ぜてはいけないという考えに私はさんせいである。だから、なるべく混ぜないように努力してみるつもりである。つもりではあるが、結果として、それが全く混じらないことを保しがたい。読む人は、そのつもりで読んでほしい。とくに、宮本氏自身に向って、最初にこの点の許しを乞うておく。ゆるしてください。
 ついでに、なぜキライかの理由を、書いておく。
 たとえば、彼女の処女作「貧しき人々の群」が、或る意味で或る程度まで良い小説であることは私にもわかる。わかりながら読んでいる最中でも、読みおわった後でも、私は非常に不快になる。不快の原因はいろいろあるが、その一番の根本はこの作家がこの作品の中で非常に同情し同感し愛そうと努力している――そして遂に全く同情もしなければ同感もしなければ愛しもしていない――と私には思われる――その当の「貧しい人々」の一人として私が生まれ、育ち、生きて来たためであるらしい。
 そのような出生と経歴とを、私はいまだかつて一度も、誇りに思ったことも無いし、恥じたことも無い。私にとって、それは、かけがえの無い唯一の、したがって貴重なものであった。とくに自分のそれが他よりも不幸であるなどと思ったことはメッタに無い。しかし、正直、「つらい」と感じたことは度々ある。そして、たとえば、少年の私が、飢え疲れて行き先きの無いままに、宮本百合子が小さい時分に通学したような女学校の柵の所につかまって、内側のグラウンドに遊んでいる宮本百合子の小さい時分のようなキレイな女学生たちを見ながら、「どうすれば、こいつら全部一度に毒殺することができるだろうか」とムキになって考えた事が一度や二度では無かった。また、青年になりたての私が、飢えと病気と孤独のために目くらめき、ほとんど行きだおれになりかかりながら、宮本百合子の生まれ育ったような邸宅の裏門のゴミ箱につかまって、苦しいイキをはきながら、「こんな家の中に、食いふとって暮しているヤツラは永遠に自分の敵だ」とつぶやいた事も二度や三度では無かった。そのような感じ方、考え方が、健康なものであったか病的なものであったか、自分は知らない。ただ、私は、そう感じ、そう考えざるを得なかった。
 オトナになってから、私は、そんなふうには思わなくなった。人が先天的に「与えられ」て置かれた境遇の良さに対して悪意を持つことは、先天的に貧寒な悪い境遇に置かれた人をケイベツする事と同様に同程度に、浅薄な偏見だと言うことが、私にわかったからである。だから年少の頃の反感は、宮本百合子に対して、完全に私から消えた。以来、私にとって、宮本百合子など、どうでもよかった。自分に縁の無い、好きでもきらいでも無い路傍の女文士であった。もっとも、その間も、この人の書いたものの二、三を読んだ記憶はある。しかし、たいがい自分には縁もユカリも無い世界のような気がし、加うるにその書きかたも書かれた人物たちもなんとなくキザなような印象を受けることが多く、しかし、けっきょく「こんな世界もあるのかな」といったふうの、自分にもあまり愉快では無い無関心のうちに読み捨てたことである。また、この人のソビエット行き、ならびに、それについての文章などにも、ムキになって対することが、私にはできなんだ。それから太平洋戦争の、たしか直前ごろ発表された宮本の文章の一つに、彼女が、たしか中野重治らしい男とつれだって執筆禁止か又はそれに似た事のために内務省か情報局か、そういった役所の役人に会いに行った話を書いたのを読んだ。書きかたはソッチョクで、感情抜きでシッカリしていた。それを読みながら、「これだけの重圧の苦しみに耐えながら、おびえたりイジケたりしないで、シッカリと立っている女がいる、えらいな」と思い、心の中で帽子をぬぎ、そして、当時の国内の状勢の中では或る意味では当然であるとも言えた左翼に対する抑圧を、しかしこのようなバカゲた、このような乱暴な形でおこなっている当局に対して、二重三重の怒りを感じたことを、おぼえている。その時の敬意と怒りとは非常に強かったために、その文章の中にさえも私がカギつけたところの例の宮本の[#ここから横組み]“high brow”[#ここで横組み終わり]さえも、さしあたりは気にならなかった程であった。そして太平洋戦争になり、敗戦になり、やがて彼女は自由に、猛烈な勢いで発言しはじめ、作品を発表しだした。好評の渦が彼女を取り巻いたように見うけられた。私も、彼女の書きものの数篇を読んでみた。それらは、いずれも、ある程度までリッパなものであった。しかし、それまでの宮本百合子観を変えてしまわなければならぬようなものでは無かった。だから、敗戦後、とくに宮本が好評になった理由が、よくのみこめなかった。しかも、この事の中に、「左翼の勢力がもりかえしてきたから、そのスポークスマンの一人の宮本がヤイヤイ言われるのさ」といったふうの俗論――それに九分の真実があったとしても――だけに満足してはおれない問題がふくまれているように私に思われた。それを究明してみることは、他の誰によりも、私自身にとって必要なような気がした。だから、あらためて私は、私の手に入るかぎりの宮本の著作を集めて、その処女作以来の作品や論文を読み返してみた。
 その結果、「やっぱり、この人は、えらい。日本に、よくも、これだけの女が育った」と思った。同時に、「しかし、おれは、この人を好かぬ。この人の中には、どこかヘンテコな所がある。だから、自分だけでなく、人もこの人を、きらうのがホントウだ」と思った。つまり、はじめからの宮本観を、私は非常にハッキリした形で再確認したのである。そして、イヤナ気分になった。自分がハッキリと分裂したからだ。つまり、尊敬せざるを得ないものを、愛することができないと言う状態になっている自分に気がついたからだ。こんな事は私において珍しい現象である。なぜなら、私は、他のいろいろのおもしろく無い性質を持っていることにかけては、人後に落ちない人間であるが、この手の分裂症状だけは、ほとんど持っていない。と言うよりも、この手の分裂症状には耐えきれない性格を持っている、と言った方が当っている。だから、自分でも困った。分裂のギャップを埋め、統一しないことには、ガマンができなかった。ばかりで無く、私自身の中の論理のためにも、これはジャマになった。だから、いろいろとやって見た。そして、分裂は埋まり、統一された。その経過のあらましを、次ぎに書きつけるわけである。

          2

 まず、彼女の書いたものを再三再四くりかえして読み、考え捜しながら、私自身の中をほじくり返し洗いあげた結果、次ぎのことが私にわかった。
 宮本百合子が、唯単にブルジョア出身であるだけでなく、現に高度にブルジョア気質の人であるという事、そしてその点が他のどのような事よりも私の気に入らなかった理由であったことである。
 ――待ちたまえ。こう言うと、この言葉だけで、宮本の悪口を私が言っているのだと早合点をする習慣がある。とくに、今の日本の季節はそのような習慣の盛んになっているコッケイな季節の一つであるようだ。すなわち「ブルジョア」だとか「ブルジョア的」の語を、「豚!」だとか「カサッカキ!」といったふうの形容詞として受け取って、腹を立てさせたりする習慣だ。しかし私は、あまりそういう習慣を持っていない。だから、きわめて冷静な客観的な語としてこれを使っている。念のため――。
 で、宮本のブルジョア気質は、たいへん根深く、かつ、たいへん明確なものである。作家をトクチョウづけるものは、常にあらゆる場合に、他のどのようなもの――たとえば政治的イデオロギイなど――よりも、その気質にある。宮本の場合もそうだ。それは、かなり徹底的に、一貫してブルジョア気質である。同時に、実はそれが彼女の背骨(バックボーン)になっている――つまり作家としての彼女を或る程度まですぐれたものになしている主なる支柱が、他ならぬそのブルジョア気質である。という、おもしろい関係になっている。
 と言うことは、文芸作品について多少「読みの深い」人なら、たいがい、うすうすながら気が付いている事だ。そういう証拠があちこちにある。だから、宮本の作品を一つでも二つでもマトモに読んだ人なら、私がこう言っただけで、「なるほど、そうだわい」と思ってくれる筈である。しかし、これも念のため、彼女のブルジョア気質を証明していると私の思う例を、たった一つだけあげておく。『伸子』という小説がある。そこには、作者自身とおぼしい伸子という一
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