いる。しかし、支配的にドミネイトするものは、それらでは無い。自我内部の本質が外界とふれ合いつつ生き動いて行く過程――その過程の中の最もいちじるしいモメント、モメントが自我が「打ちくだかれ」るという事がらである――が、イヤオウなしに、ノッピキならず、そうせざるを得ないという形で、そうしないとその後の自我の存立が危くなったり欠如してしまったりするから、つまり極端な言い方をすれば「そうしないと生きて行けないから」生み出して行くファンクションである。それが軸だ。そして私には宮本百合子は打ちくだかれたことの無い人のように見えるので、前記四つの動機や衝動の中のどれか一つか二つ、又はその全部が組み合わされた所から小説を生みだしつづけている人のように思われる。そして、彼女の小説のすべてが、その根深い所で、ある時は修身教科書になったり、ある時は[#「ある時は」は底本では「あの時は」]戦勝の歌になったり、ある時はカッタツで勁い自由画になったり、そしてたいがいの場合に「この人を見よ」式のナルシシズムの要素を多分に含んだ自伝風のものになったり、そしてそのすべての場合に堂々たる自信に裏打ちされているのは、そのた
前へ 次へ
全274ページ中95ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング