めのように思われるのである。それは、けっこうな事である。しかし、そのような芸術が、或る種類の人間たちにとって、芸術としての第一義的な興味と意義をあたえ得ないのも、やむを得ない。或る種類の人間たちと言うのは、社会にギリギリ一杯の所で生き、その中で往々にして自己の弱さと低さを痛感し、しかしそれでもできる限り強く正直に正しくそして幸福に生きようと力をつくして努め、つとめつつも往々にしてそれがうまく行かないで「打ちくだかれ」ている人間たちのことだ。そのような人間が、世の中にいっぱいいる。むしろ、今の世の中は、そのような人間たちで満ち満ちているといえよう。私もその一人だ。つまり、だから、私にとっては宮本の小説は、誰かが言った「第二芸術」なのだ。それは、或る程度まで美しい。立派である。どっちかと言えば有った方がよい。しかし無くても困らない。結局有っても無くてもよい。
第二に、宮本の政治的イデオロギイのことだ。彼女の左翼的イデオロギイは、ニセモノでは無いように私に見える。しかし、今言ったように、彼女は「打ちくだかれ」たことの無い人に見える。だから、彼女の左翼的イデオロギイは主として観念的・知性的・
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