だかれ」つつある人だけが、内的な必然として芸術を生むし、生まざるを得ない者だからだ。つまり、打ちくだかれた人、打ちくだかれつつある人以外の人が、なぜに芸術活動をしなければならないのか、私にはわからないからだ。もっとも、それ以外の動機や衝動から生まれる芸術も無いことは無い。それは第一に戦いに勝ってガイセンしてくるギリシャ人の口から、ひとりでに流れ出して来る「戦勝の歌」のようなもの、第二に原始人や子供が再現本能やモホウ本能や生産本能からほとんど無意識に生み出す絵や歌や句のようなもの、第三に時間と物質にめぐまれた人間が趣味的に習慣的にそして虚栄心の満足のために生み出す手芸美術や華道芸術のようなもの、第四に或る種の倫理的タイプのインテリゲンチャが、社会的・政治的なゾルレンを観念的に自分に課して、その目的に添わんがために生み出す文章芸術のようなもの。――四つとも、たしかに芸術ではある。しかし近代的な意味での芸術ではない。すくなくとも、人間の営みの場で高度の必然性や存在価値を要求し得る芸術では無い。もちろん、近代的な、そして高度の必然性や存在価値を要求し得る芸術にも、前記四つのものの要素は含まれて
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