れ」るということは、具体的現実的に絶望的状態におそわれて、そこで実際において絶望するということだ。絶望的状態におそわれたり、絶望したりすることは、誰にしても望ましいことでは無い。避けられるものならば、極力避けた方がよい。現にたいがいの人が避けようとする。しかし、いくら避けようとしても、避けられない事だってある。そして人は苦しんだり不幸になったりする。だから宮本が打ちくだかれた事が無いのは、宮本にとって幸福な、おめでたい事だ。よろこんであげればよい事であって、どうひねくって見ても彼女にケチをつける理由にはなりっこ無い事である。だから、それはそれでよい。
 しかし、私はこの事に関して次のような二、三の事を考える。
 第一に、そのような人が近代的な意味における芸術創作活動をする、しなければならない内的な必然性――というよりも芸術創作への衝動をどうして持ちつづけるのだろう、どこから生み出して来るのだろう? という事だ。私にはその点がよくわからない。なぜなら、私の持っている芸術及び芸術家についての知識から言っても、私自身の経験から言っても、「打ちくだかれ」た人、そしていつでも何かの意味で「打ちく
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