やに分裂していはしまいか? そして、いつでも、一方が一方を否定したりケイベツしたりしていはしまいか? そして、そのような分裂が、いつでも彼を或る種の地獄におとしいれているように私に見える。自業自得だ。それに、その中にガマンして住んでおれる程度の地獄である。同情しなくともよかろう。ただ、広津を一個の大インテリとして眺めようとすると、その分裂がジャマになる。「小説」を彼の手から叩きおとしてやりたくなる。しかも、「小説」を叩きおとされた広津こそ、ホントの意味での作家なのだから、なおさらである。「じゃ、どうして食えばいいのだ?」と問われても、そんな事は知らぬ。そんな事は問題にならぬ。問題は、われわれが広津のなかに一人の大インテリを、純粋に持つことができるかどうかという事だ。彼自身にとっていかがわしい関係にある小説などを書きちらして自身に水を割りながら「中ぐらい」に暮している大インテリを見るほうがよいか、たとえばバタヤをかせぎながらでも自身を一本にしている大インテリを見るほうがありがたいかということである。つまり、他の事を顧慮している暇が無いほどに、われわれの間に大インテリを持ちたいという希望は
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