書く。ヘンだ。実は彼のドキュメントや感想文の方が、あらゆる意味で、ホントの小説なのに。ドキュメントや感想を彼は燃えて書いている。彼の全人間のトップの所で書いている。小説を書く時には水を割る。彼のうちのカスで書いている。そして、そのドキュメントや感想を書いている時の書きかた――素材の現実と自分とのそのような関係こそ、ホントの小説の書きかたであることを、彼ほどの人が知らぬ筈は無い。盲点か? それもおかしい。すると、彼ほどの人でも、例の「自身に関する事以外のことはよく見えるが、自身のことだけは見えない」[#「自身のことだけは見えない」」は底本では「自身のことだけは見えない」]という凡夫の法則をまぬがれるわけには行かないのか? いや、いや、彼の神経がそれを見のがす筈は無い。知っているのだ。知ってやっているのだ。すると「生活のため」という理由だけしか無い。だとすると、しかたが無い。生活はノッピキのならぬものだ。それはそれでよい。誰にとがめだてができるだろう。ただ、理由がノッピキが有ろうと無かろうと、そういう事をしている広津自身の内容は、いつでも真っ二つに割れていはしまいか? いつでも、あれやこれ
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