切実なものであるということである。
次ぎに志賀直哉。
半未開国民のわれわれの間では、ざんねんながら、いろいろの事や物が、すこしユダンをしていると、すぐに伝説になったり偶像になったりタブウになったりする。小説における志賀がそうだ。
志賀の小説は一級品だ。私など、ちかごろ雑誌などにのっている戦後派作家や「肉体派」作家たちの半煮えめしのような小説を三つ四つ読んで、ダラケたような気もちになった後では、口なおしによく志賀や葛西善蔵の小説を引っぱり出して読む。良いことは、わかりきっている。しかし志賀を伝説にしたり偶像にしたりタブウにしたりするのは、まだ惜しい。志賀の小説は、まだ生きている。そのプラスとマイナスは、まだ充分に計量されてはいない。そこには、日本の小説における或る一つの行きかたのヨリドコロみたいなものが有るばかりでなく、日本人の物の考えかた掴みかた生きかたの原型のようなものがドッシリと据えられているのだが、それらが、まだ充分に噛み分けられているとは言えない。われわれは今、目の先きに多量に生産され並べたてられている小説類に目をくたびれさせることをしばらくやめて、志賀小説ならびに志賀を
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