skin−game であるらしいことが、われわれに見える。過ぎ去った大戦から受けたキズの治療だけに、われわれはキリキリ舞いをすることはできない。いや、足りない。それにキリキリ舞いをしながら、同時的に、更に大がかりの skin−game である今後のパースペクティヴの中へ踏み込んで行く足ごしらえをしなくてはならないのだ。
 すなわち、われわれは完全に動テンしながら、同時に、静かでなければならない。火と燃え立ちながら、鉄のように冷たくあることが要求されている。最も兇暴な野獣のように本能的でありつつ、最も理知的な科学者のように科学的でなければならなくなって来ているのである。――その事を世界中のインテリゲンチャたちは、多かれ少なかれ感じている。われわれが、第一次大戦の戦後派のような形を取り得ず、かつ、取らない方がよい理由は、そこにある。
 日本の戦後派の人たちの作品や、人間や生活の中に、一種の静けさがあるのは、その事と関係のあることだ。私もそれを見のがしてはいないつもりだ。そして、それはそれでよい、そうなければならぬ事だと思う。われわれは、今後のパースペクティヴへ向って用意しなければならぬ歴
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