ク乱と絶滅感にゆだねる事ができない。戦争を、特にアブノルマルな事件として見ることができない。或る意味でそれはノルマルな状態だと思わなければ耐えきれない。言わば、第二次大戦の中で、そして後で、その中にわれわれは、セレニティ(静けさ)を見たのだ。見なければ、耐えきれなかったのだ。耐えるためには、それを見なければならなかったのだ。それだけに、自我の全部をそれに叩きこむことはできなかった。できない。したがって、自我の全部をそれに叩きこむ事のできた人間に起きるような救いは、われわれに起きなかったし起きない。そこから生まれて来たニヒルも、表現主義やダダイズムのような瀉血的な形をとり得ない。もちろん、この方がズッと苦しい。ニヒルは骨がらみになって来るのだ。それに耐えて行かなければならぬ。
 第一次大戦の戦後派には、将来へのパースペクティヴは無かった。無くても、すんだ。全身心でキリキリまいをして動テンする事によって、余念なくその大戦から受けたキズを治療すればよかった。第二次大戦後のわれわれには、今後へのパースペクティヴがある。そしてそれは、われわれが「死なんばかり」にして通って来たものよりも大がかりな
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