義などとニヒリズムとの距離よりも、ニヒリズムと、この「日本製」似而非《えせ》ニヒリズムとの距離は、はるかにはるかに遠い。われわれが肯定に立とうと否定に立とうと、われわれは、自身の中から「日本製」ニヒリズムを追い出さなければならぬ。いやいや、強く、論理的に、誠実に、一貫性をもって、シブトクわれわれが考え、生きようとすれば、必然的に、この手のニヒリズムを自身の中から追い出さざるを得ないであろう。
 私が戦後派作家たちについて抱いた大きな期待の一つは、たしかに、彼等が戦争から「死なんばかり」にして持ち帰って来てくれたニヒリズムが、この「日本製」似而非ニヒリズムを、或る程度まで追い払ってくれるだろうという望みであった。今でも望んでいる。そして、この期待が、まるきり、はずれたとはいえない。すこしばかりだけれど、それは満たされた。主として彼等の初期の作品において。
 ところが、だんだん、いけなくなって来たように見える。彼等は、「日本製」似而非ニヒルの中にイカリをおろしはじめたようだ。中には、もともと「日本製」であったのが、一時的に戦争のショックでホンモノのニヒリズムらしい形をとっただけで、ショック
前へ 次へ
全274ページ中65ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング