がうすれて来たものだから本性が現われて来たように見える作家や作品もある。前にも書いたように、カンタンに左翼の方へ展開できる戦後派や、モダーニズムやペダントリイで満足している戦後派は、論外だ。その他の人たちの事を言っている。この人たちが最近示している作品の性質や、その作品の世界と作家の実生活との関係などが、前記、ニヒリズムと「日本製」似而非ニヒリズムの、どちらに、よりよく似て来つつあるだろう?
 私には「日本製」の方に似て来つつあるように見える。それを私は残念に思う。せっかく、せっかく、われわれは、言葉では言いつくしがたい位の高価なギセイを払った末に、われわれ自身を世界的場の高さにまで引きあげ得る手がかりと可能性をつかんだのに、そして、そのことについてのチャンピオンが、これらの人たちであり得ただろうのに、それを再び失いかけているとも言えば言える現象だからだ。たいへん残念である。しかし、そうなれば、そうなったで、やむを得まい。それはそれとして、われわれは、手がかりと可能性を、更に他の手段や他の人々によって発見しつづけ、伸ばしつづける努力を打ち捨てるわけには、ゆかない。私から言えば、正宗白鳥
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