里見などは「文士」だ。広津や志賀や武者小路は文士だけではない。文士からはみだしている。はみだした所で、彼等は多くの人々の運命を背負っている。多くの人々の運命のことを忘れようとしても忘れることができない。「世が病め」ば、彼等も病む。血がつながっているのである。それでいて「醒め」ている。不幸だ、それだけに。すくなくとも、苦しい。この十年間――日本が戦争をはじめ、続け、敗け、そして現在こんなふうになっているこの十年間、さぞ苦しかったろう。お礼を言わなければならぬ、それに対しては。しかし、それだけにまた、今後についての要求も、この人たちに対して強くならざるを得ない。今までの十年間は、十年コッキリで終りになったのではない。つづいている。そして、その中で、ぼくらは、この人たちの生きて行く姿や仕事を見つめつづけて、それらを意識的、無意識的に自分たちの指針にしたり、示唆にしたり、すくなくとも、一つのよりどころとしたり、一つの刺戟としたりしようとしている。だから、モーロクしてもらっては、困るのだ。永井や谷崎や里見などは「芸道」のザブトンの上でウトウトと眠らせておけばよい。大インテリには、ザブトンの上でウ
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