ずれにしろ、それに近いものであろう。
そして私の分類に従って言うならば、大インテリとは、サイミン術にかかりにくい性質を持った人間だ。そして、コンミューニズムの端からファシズムの端に至るあらゆる種類の政治的プリンシプルが、現実的にデスポティズムの形をとった場合には、すべてサイミン術になる。そしてなにかの意味でデスポティズムの形をとらぬ政治的プリンシプルは有り得ない。だから、大インテリというのは、結局は、常に政治と闘う者のことである。そして、サイミン術や政治と闘う道具として、彼自身の、そして彼自身だけのエイ智以外には、なんにも持っていないし、持とうとしない。目の中にウツバリを持たぬと同時に、手に武器をも持たぬ。群集を愛すれば愛するほど、群集の動きから一人離れ、醒め、孤立する。せざるを得ぬ。
広津や志賀や武者小路が、それぞれの特性を持ちながら、共通して右のような傾向を持っていることは、この三人の歩いて来た道と仕事の内容を思いだしてみればわかる。また、永井荷風や谷崎潤一郎や宇野浩二や里見※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]などとくらべて見れば、いっそうハッキリする。永井や谷崎や宇野や
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