された直ぐあと、どうしてあんなに泣いた?
うん、しかしそれも、子供は、大体みんなそうではないか。それも正直で素朴でよいではないか。なにもそう、ひとつ事に執念深くへばりついて、こだわって、シンコクぶる事も無いではないか。愛情も悲喜と共に、アッサリとゆくのが「日本」かもしれない。それもよいではないか。
――というような事をサンザンに考えた末にも尚、私には決定的な不満が残るのである。それは、日本人(私をもふくめて)の薄っぺらさだ。受けるべきキズさえも、マトモには受け得ない弱さ、苦痛にも歓喜にも強く永くは耐えきれない浅さ。黄表紙風のボン・グウや「ほどの良さ」や「あきらめの良さ」のモロさハカなさ。ニュールンベルグにおけるドイツ戦犯たちの最後の姿にくらべて東京における日本戦犯たちの最後の姿の淡さ、是非善悪のことでは無く、その淡さだ。
日本人がもともと本質的に、そうなのか? もしそうなら、しかたが無いが、私は必ずしもそうでは無いと思う。たとえば、西鶴や近松や南北などはもちろんのこと、近世「日本」文化の背骨の一つをなし、かつ、日本的なものの中でも最も日本的な代表者である芭蕉や西行を見よう。その「
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