も大事なものは、すり切れ、衰弱して来てしまっている。
普通こんな場合に「ジャナリズムも悪い。あまり書かせすぎるから」という言葉が飛び出してくる。私の口からもそれはチョット飛び出しかける。そう言ってもよいとも思う。しかし、実はそれは別の問題だ。今私が語っていることの根本的な解答にはならぬ。ジャーナリストは、その作家の作品がほしいから作家を追いまわすだけだ。たとえば三カ月に一篇しか書かないと決心し、事実書かない作家を、どんなに強引なジャーナリストが追いまわしたところで、それ以上書かせるわけにゆかない。かんたんである。それ以外のいろいろの口実や弁解はみなキベンだ。責任は全部作家当人にある。
良くない。ある作家たちは文学少年みたいになってしまって、実になさけないしかたでドストイェフスキイなどの真似ごとをしはじめた。ある作家たちはジョイスなどの流儀に舞いもどって、心理的「実験」などをするようになった。ある作家たちは、鼻もちのならないポーズで「おとなぶった」ペダントリイをひけらかしている。――(無責任な放言では無いつもりだ。私もムダに作品を読みはしない。この作品のこういう個所やこういう要素がそ
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