トとニヒルは、いやおう無しに彼等を駆って、ほとんど盲目的に、社会的パトスあるいは社会的ソリダリテ(=自我一個について語ることが、そのままで即ち、その自我のぞくしている人間集団について語ることになる関係)の上に彼等を立たせた。そして、この社会的パトスまたは社会的ソリダリテこそ、芸術と芸術家の態度として本質的に最高のものである。彼等の最初の一、二作がすぐれていたのは当然であった。
たしかに、最初のところで、彼等はそこに立っていた。そして忘れてならぬ点は、「ほとんど無意識に、盲目的に」そこに立っていたという事である。書かざるを得なくなって小説を書いた。言うならば「描かないと死ぬから」(ゴッホ)書いた。小説としての出来不出来を考えたり、いわんやそれが世間や文学界からどんなふうに受取られるかを考慮したりする余裕は無かった。すくなくも、そのような事よりも、いや、そのような事をも、いっしょくたにして、端的に燃えあがった。深く強い本然から書いた。それが期せずして、高い立場に彼等を立たせたのである。
そこまでは、よかった。あとが、だんだん、おもしろく無くなって来る。というのは、ほとんど無意識のうちに
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