いることがわかる。一つも例外は無いから、例をあげて実証する必要は無いだろう。
そして、大戦争があったという事は、その中で人間が強い圧力の下で、最も集約的に爆発的に「生きた」ということである。それは望ましい生きかたでは無かった。にもかかわらず、人間はそれを「生きた」ことにまちがいは無い。死んだのでは無い。「生」のこちらがわの事件であった。言わば、「死なんばかりに」生きたのだ。通って来た者は、みなそれぞれのキズを負っている。
われわれが戦後の文芸作品を見た時に、われわれの目が、そのキズの所産またはキズそのものとしての性格を最も強くそなえた――すくなくとも、最も強くそなえ得る条件や前提を持った作品や作家たち、つまり戦後派に最も強く注がれるのは自然であろう。それは単なる興味からだけでは無い。もっと冷厳な、もっと深い関心からだ。自分一個の経験と他の人々の数多の経験の間の普遍と特殊とを照し合せ、修正し合って、それを客観的な「人類の経験」として跡づけたいという――言わば、もう既にわれわれの本能にまでなっている近代的、科学的な欲望からのようである。そして、さらに深い所では――もちろん、無意識的に―
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