と姿の中に、私自身の問題や姿も含まれていることに気がついたからである。だから、むしろ、書かないでいる事こそ、ホントは「自分のことをタナにあげる」ことになるからだ。
どこまで突込んで行けるか。わがペンよ、冷やかにあれ。
2
あらゆる芸術作品、とくに文学作品は、直接的にはその作者個人が、間接的にはその作者のぞくしている集団・層・階級・民族・場所・地方・時代が「生きる」ことから受けたキズの所産――と言うよりも、キズそのものである。同時に、その作品が、そのキズの治療――すくなくとも治療への決定的な第一歩である。しかも見おとしてならぬ事は、その作品が治療であるのは、その作品が先ずキズであるゆえだという事だ。その作品が、そのままの形でキズで無いならば、それは治療とはなり得ない。また、あらゆる作品は、それが実質的にキズである程度に応じて治療であり得る。そのことを、作者が知っている、いないに関係なく、そうだ。
これは恋愛小説から犯罪小説に至る、ありとあらゆる作品と、その作者と作者のぞくしている集団・層・階級・民族・場所・地方・時代との関係をしらべて見ると、事実がそうなって
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