―作品や作家がそこに露呈しているキズそのものの中に、治療を求めているのである。
 戦後派作家たちの作品が、それぞれ多かれ少なかれキズになっている事は事実である。われわれは、それらから多かれ少なかれ治療をも得ている筈である。にもかかわらず、治療の実感が来ない。満足しない。すくなくとも、私はそうだ。ハグラカされたような気がする。引きのばされたような感じがする。そして悪くすると、一寸のばしに――と言うことは、つまり永久に――ハグラカされてしまいそうな気がするのである。
 なぜそうなのか、その理由や原因と思われるものを私流にしらべさがして見ることが、この一文の目的である。
 そして、先ず、戦後派作家たちの作品が、たしかに或る程度まで戦争からのキズでありながら、それが治療の実感を充分には与えてくれないのは、他の原因に依るよりも先づ第一に、それらの作品がキズではあってもスリムキキズ程度のものか、または、かんたんに治りかかっているキズであるためではあるまいか? と考えてみる。

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 戦争は、人間を、ニヒルの方へ追いつめる。戦争自体がニヒルだからだ。しかも、その追いつめる力と追
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