これやの偶然に逢った人々から「世間話」を聞いては、それに自分の「人生観」ですこしばかり味をつけて作品を書くというのが彼等の実情らしい。それが悪いと言っているのでは無い。作家も人間だもの。いや、作家こそ最も強い人間だもの、そうであって悪いことがあるものか。それに、やりよう次第では、作家は二十年ベッドの上に寝たきりでいても、客観的な大作品が書ける事だって有り得る。肉体に足が有るように精神にも足は有る。「千里を遠しとしない」という事を肉体にだけ当てはめるようなヤボを言っているのでは無い。
しかし、この人たちの目ざしているのは、とにかく、ルポルタージュ方式なのだ。だのに、最も粗悪な「私小説」作家と同じ位に、人生に対しても社会に対しても世界に対しても、身も心も共にトグロを巻いているに過ぎない。自身が好んで取り上げた方式の命ずる努力はあまりしないで、そのクドクだけを期待するのは、すこし虫がよすぎはしまいか。すくなくとも、商売不熱心のソシリをまぬがれまい。この人たちの作品の世相ルポルタージュにザッハリッヒな力が無く、あれやこれやの弱々しい主観と観念が目立つ――つまり、言ってみればローズものが多いの
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