体は精神を抜きにして存在するかのように。
ストオリイは真実を抜きにして存在するかのように。
左翼の評論家の或る者たちが、この人たちの行き方を批評して、ファシズム的イデオロギイの温床だと言った。
それは、ちがう! どうして、ファシズムまでも行きはしない。ファシズムまで行けば、すくなくとも、それは憎むに値いする。とにかくそれは一つの何かである。これは、憎むにも値いしない「ノダイコ」的習慣の温床である。
6
次ぎにこの人たちが創作方法として取り上げている手法は、早取写真的方式である。それが、早く、たくさん書く必要から無意識のうちに生れたものか、現代の今の今を活写するために最適の手法として意識的に取り上げられたものか、わからない。多分、両方だろう。どちらかと言えば、前の理由が強いのではないかと思う。いずれにしろ、良かれ悪しかれ、この人たちにとっては、必然の手法である。そして、その限りで、手法自体に不服をとなえる理由は無いようである。(ただし、この人たちが業者として、あまりに能率を急ぐために、作品を作りあげるための最も大事な部分々々の文章が、非常に往々に、支離メツ
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