しろく無いように思われた。
ただし、これは、あくまで私の推測なのだから、あるいは誤っているかも知れないとも思う。ところが悪いことに、これらの人々の数人が時々「私小説」を書く。丹羽の「告白もの」や田村の身辺小説などがそれに当る。そして、それらは、それ自体としては、比較的正直に率直に書かれていて、好感の持てるものが多いが、しかし、それだけに作家的鍛練と確立の手薄さかげんがマザマザと露出しているだけで無く、その人生社会観の背骨《バックボーン》の弱さと、近代的小説作家として技法的にも致命的な陳腐さ――(その手うすさと弱さと陳腐さかげんは、いずれもかなり頭の悪い文学青年級のものであって、彼等が往々にして否定的に語りたがる志賀直哉その他の私小説作家たちの前に持って行っても、ほとんど吹けば飛ぶような程度のものである)を自らバクロしていて、前述の私の推測が或る程度まで当っていることを裏書きした。そして、それは他の諸作家についても類推することの出来る根拠がある。そして、それは、やっぱり私には、おもしろく無いように思われるのである。
彼等は、自分たちでは、自分たちをルコックの亜流であるとはしていないら
前へ
次へ
全274ページ中32ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング