ある「小説のハメ手」には感じられない。あるいは作者はただナイーヴに「このようなことがあったから、それをそのまま書いたまで」かも知れないとも思う。そう思われるフシがかなりある。つまりなかば無意識の布置であったかもしれない。しかし、小説作法をまったく考えないほど、また、そのような意味でナイーヴではこの作者はないようだ。その証拠は、すでに最初からの視点(ポイント・オヴ・ヴュウ)の置きかたに示されている。つまり、この作者はホントは終始一貫主人公小畑耕二の視点に立って(小畑を「私」として)書きたく思ったか、または書かなければならぬと思ったかではなかろうか。しかし、それで書くと、書けない部分ができてくる(たとえば、作中「八」その他)。そのために、小畑の視点を中心にした第三人称で書くことに決めたのではなかろうか。これは私の推測だから当らぬかもしれぬが、とにかく作者はこれだけの物を書くのに、どこに視点を置くのが最も有利かということを(――つまりそれが小説作法なのだが)考えたろうと思われるし、事実考えた結果起きた抵抗の痕跡らしいものも数個所で指摘できる。つまり、文字通り日記を書く時のようなナイーヴさで書
前へ 次へ
全274ページ中268ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング