現在の中野のこのような姿は、ただそれを指さして拍手したり、笑ったりして置きさえすればよい姿ではないだろう。中野の姿は、中野だけのものでは無い。そこには、マルクシストたちにとってはもちろんのことであるが、マルクシストでない者にとっても解決しなければならぬところの、深い、そして一般的な問題が示されている。一定のイデオロギイと芸術との相関の問題だ。なぜなら、イデオロギイはマルクシズムだけではない。誰にしろ、キンミツに考える近代人は、何かのイデオロギイから完全に逃げ出すわけには行かないからである。私は私なりに中野の三つの小説から、そんなわけで、いろいろのことを学んだ。

「あ号作戦前後」――阿川弘之(「新潮」十一月号)
 長篇小説の一部だとことわってあるが、これだけでも相当長いものである。戦争中、海軍軍令部特務班(無線通信による暗号盗読の作業をうけもつ)に勤務していた予備学生出身の小畑耕二を中心に、数人の同僚の青年将校の姿を、あの時代のあわただしい動きの中に、そして同じ場所に勤務している女子理事生たちとの淡い恋愛関係を点綴しつつ描いてある。特色は、近代戦における神経中枢とも言わるべき暗号通信
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