説が書けない理由もこのへんにある。小説家中野は、さぞ苦しいだろうと思う。注意しなければならんのは、或る種の苦しみは、或る程度内で或る期間の間くりかえされると、変てこな楽しみになってしまうということである。そうなれば、これまた、ポーズということになる。その人のポーズはその人の地獄だ。同時にその人のアヘン窟である。中野の状態がはたしてそんなふうにまでなっているかいないか私は知らぬ。しかし中野の小説が、「クサヤのヒモノ」のような匂いを持っており、近来とくにその匂いが強くなって来ている事実を、私としては右のようなことがらと関係させないでは考えられないのである。中野がもし小説家ならば、または、もしマルクシズム理論家ならば、そして、そのいずれの側でも、もしホントの答えを出したいならば、彼のフルのところで、彼のトップのところで、ギリギリいっぱいの、恥の外聞もポーズも投げ捨てたところで、投げ捨てざるを得ないところで、つまり、タブロウとしての小説を書いて見せてくれなくてはなるまい。問題は、そこいらから、やっと始まると思う。そして私は中野がそれをして見せてくれるだけの能力を持たない人だとは思っていない。

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