は共存し得ない。(このことについては、不完全な形でだがすでに二、三の場所で私は私見を述べた。今後も述べるつもりだ。実は今していることもその一つである)すくなくとも、さしあたりは、双方の根本的な個所で背反する。しかも中野は幸か不幸か、かなり鋭い芸術家的気質や芸術的洞察力に恵まれている。そのために中野の内で、マルキシズムと芸術とがぶっつかり合って、いつでもあれやこれやのゴタゴタが起きているのではないかと思う。ゴタゴタはソッとして置けば、それなりでやって行ける。しかしゴタゴタの中で、いったん文学を生み出そうとなると、芸術とマルクシズムが背反しはじめる根本的な個所のズーッと手前のところで作品を生み出す以外になくなる。また、その二つの最大公約数(その数値は非常に小さい)として生み出す以外になくなる。それが中野の作品である。彼の小説が断片になりがちな理由はここにもあるわけだ。平野謙が中野の小説について言っている「わかりにくさ」も、一つは中野の「素朴病」やポーズからも来ているが、右の理由からも来ている。また、中野が宮本百合子のように「かしこく」も、別の意味で徳永直のように「バカらしく」も小説らしい小
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