ない。全体の構成にも、部分々々の切りこみ方にもついてまわる。実にタンネンにシウネクくりかえされるのである。その実例をあげて説明してもよいが、スペースが充分ないから、今は、はぶく。これらは中野の持っている「素朴病」とでも言ったふうの好みからも来ているらしい。誰にしても好みはあるし、書くものに好みが出るのをとがめるいわれはない。しかし、どうもそれだけではない。また、その程度ではないように思われる。つまりポーズだ。そして、このようなポーズではちきれるようになっているかぎり、中野には小説がさぞ書きにくいだろうと思うと同時に、他ならぬ、このようにヒネッたポーズが彼をして今日あるような「断片」小説家中野を支える柱になっている。そういう関係になっていると思う。
第二に、以上のことと彼のイデオロギイの関係についての私の観察をかんたんに述べる。中野はマルクシストだ。彼がどんな理由で、どんな必然性でマルクシストにならなければならなかったか、私によくわからない。彼がその文章や作品で示している気質はひどく「貴族的」――というと言葉が過ぎる――たとえば芥川竜之介などと同じ系列に属する「選民意識《エリート》」―
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