であるが、大学生が小学生のマネをするのはさらにキザに、二重にキザに見えるし、そして前のキザはわりに治りやすいが、後のキザは容易に治らない。中野の小説は、その後のキザに私に見える。
 実例を一つだけあげる。「よごれた汽車」の中で「女は五十すぎの年配で、上等でない商売をしていた人のような黒い顔をしていた」と言う句がある。「上等でない商売」というのはインバイかインバイ屋のことではないかと思われる。もしそうなら、なぜそう書かないのだろう? 下品になるからか? いや、そうは思えない。それとも、ただ「低級な」または「あまり儲からない」等の意味だろうか? それなら、これまた、なぜそう書かないのだろう? 小説家なら、「ような」と書いても、その想像力の中で何かのイメージや連想を持っただろうし、持つはずだし、そして持ったのであれば、こんな「手前のところで気取った」表現をとる必要はない。いや、だから、これは表現ではないのだ。表現とは、「あえて、踏み込んで、決定する」ことだからである。
 これだけではない。あちらにもこちらにも、この種の表出がある。他の二篇の中にもたくさんある。しかも、これが文章だけのことでは
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