怒したという話を私は思い出すのである。激怒させたくなければ、しばらく、神と呼んでおく以外に方法は無いし、そうしておいても、さしたる不便は無い。アルチザンと呼ばれてフクレる人たちはアルチストと呼んでもらいたいのだから、そう呼ぶがよいし、それでもさしたる不便は起きまい。批評家たちは、ケチをつけたいのだ。ケチをつけられるのに相当する作品もあるし、そうでないものもある。どちらかと言えばケチのつけやすい作品が多い。言ってみれば粗製品のようだからローズものが多い道理だろう。ただその場合でも、他人が盛大に何かをやって景気の良いのを見ると、ややともすればこれを嫉妬してケチをつけたがると言う島国人的特性を文壇人や批評家が非常に豊富に持っているという事も計算の中に入れる必要があるようだ。いずれにしろ、問題は、この人たちの、「質」に在ろう。その質に添って、もっと直接的な言いかたで「お前の作品はつまらん。そのつまらなさかげんと、その理由は、かくかくの所にある」と言うのでなければ、問題は先きへは進まないだろう。
ところで、私自身はどうかと言えば、この人たちの作品を、必ずしも、つまらんとは思わぬ。しかし、たいし
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